2017年2月21日火曜日

安全圏としてのアートを浸食するもの ユリアン・ローゼフェルト展覚書

安全圏としてのアートを侵食するもの  ユリアン・ローゼフェルト展覚書 瀧健太郎


ローゼフェルト《マニフェスト》(2015)
 2016年1月よりベルリンで開催されたユリアン・ローゼフェルト《マニフェスト》(Julian Rosefeldt, “Manifesto”)展の忘備録を記しておく。会場のハンブルガー・バーンホフは、ベルリン中央駅のすぐ近くにある元ハンブルグ行駅舎を再活用した、奥に細長い美術館だ。会場前には40-50人ほどの列ができており、そこに並びカウンターでいざチケットを買おうとしたら機材の調子が悪く展示は中止と知らされた。(最前列にきた時点で知らされるとこがドイツっぽい)。その日は敢え無く宿泊先に戻り、しばらく機会を失っていたが、周囲の知り合い何人からも評判を聞いた2か月後に再度挑戦することとなった。 展示会場は暗く、奥に長い展示室には13個のスクリーンが設置され映像が流されている。登場人物は教師、母親、工場労働者、浮浪者、振付家、TVニュースのアンカーウーマンなどなど様々なのだが、観客はすぐにそれらが1人の女優ケイト・ブランシェットによって演じられていることがわかる。

 プロローグシーンのみ人物は出ず、それ以外の画面ではブランシェット演じる12の人物がそれぞれの8分ほどの短編映画形式で、彼女(彼)らの日常のあるシーンを切り取って見せていく。ある画面では、北欧らしき街にて早朝に目覚めて、弁当を持ってバイクにまたがり出勤するゴミ焼却所のクレーン操作する女性工員を淡々と描く。また隣の画面では浮浪者がぶつぶつ文句を言いながらカートを押していく…などなど。

 観客は真っ暗な展示会場をその短編映画のアーカイヴの中を画面から画面へと、ブランシェットの分身を追いかけるように漂流して歩く。そして断片的に提示されたそれら切り取られた誰かの日常が、ある瞬間に、13の画面が同期し展開する。それぞれの画面の主人公たちがカメラ目線で、セリフをモノトーンの調子で歌うように口ずさみはじめるのだ。それぞれの歌のキーは別々になっており、和音として会場に響き渡る。このセリフはタイトルにもあるように、20世紀の様々な前衛芸術の「マニフェスト=宣言文」からの抜粋されている。

 入口付近の導火線が燃える「プロローグ」シーンには、マルクスと エンゲルスの「共産党宣言」(1848)、トリスタン・ツァラ「ダダ宣言」(1918)、フィリップ・スーポー「Literature and the rest」(1920)にはじまり、浮浪者のシーンにはコンスタンスやドゥボールなどシチュアシオニストらの宣言が、仲買人のシーンにはマリネッティほか未来派の宣言とジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)が、ごみ焼却施設の職員のシーンではブルーノ・タウトやコープ・ヒンメルブラ(バ)ウの建築家たちの宣言が、パーティ会場の社長ではカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど表現主義が、またパンク風の女性のシーンでは創造主義とストリデンティズム、科学者のシーンではナウム・ガボやマレーヴィチのシュプレマティズム、ロトチェンコの構成主義などが、葬儀での挨拶する女性のシーンではダダイズム、人形劇の演者のシーンではアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」とるーちょ・フォンタナの「白い宣言」、家庭のなかの母親のシーンではポップ・アート、振付師のシーンではフルクサス、シュヴィッタースの「メルツ劇」、ニュースの司会とレポーターのシーンではコンセプチュアル・アートとミニマリズム、教師のシーンではブラッケージ、ジャームッシュ、ラース・フォン・トリアー、ヘルツォークら映画監督の宣言文から、「エピローグ」シーンには建築家レベウス・ウッズの1993年の宣言文がそれぞれに引用されている。1
 ブランシェット演じる登場人物たちの設定と、これらの宣言文の明確な因果関係は一見わからない。作者曰く「(前衛芸術の)マニフェスト=宣言文が格式ばった美術史の重みから、開放させ、文学的な言葉の美しさや純粋さを抽出させてみたこと」が1つの試みであり、宣言文を再度パフォーマンスとして昇華させることにあったという 。2
 だとするとアートの前衛の先達たちの宣言文が、今日の(しかも女性の)日常のどこかに生きていて、その革命的な素地に溢れているというメッセージ、あるいはその状態にあってもなかなか変革が起こりえないことと指摘しているのかと推測できる。しかしそれを考えたり、感じたりする間もなく、主人公はまた元の断片的な日常に戻ってゆき、映像は繰り返される。観客はランダムにいくつもあるスクリーンを次、また次へと浮遊しいくことで、観客は生活世界と宣言文の理想との間に常に宙づりにさせられていく…。


映画とアートの境界

 ローゼフェルトは劇映画の1シーンのようなセットを組み、そこで繰り広げられる不条理なワンシーンという印象の作品を多く手掛けるドイツのヴィデオ・アーティストだ。筆者がローゼフェルトの名前を初めに知ったのはアートの文脈ではなく商業映画だった。 ドイツの映画監督トム・テュクヴァ(Tom Tykwer, 1965-)の『ザ・バンク 堕ちた巨像』(The International 2009年、米独英共同制作)の1つのハイライトシーンに、クライヴ・オーウェン演じるインターポールの捜査官が、国際的な巨大銀行組織が利用する暗殺者を追って、グッゲンハイム美術館の中で銃撃戦を繰り広げる場面がある。暗殺者は依頼者である組織の代表と美術館で会っているという設定で、暗殺者が口を割るのを恐れた組織側が更に傭兵軍を送り込み、フランク・ロイド・ライト建築のモダンな白いらせん状の展示室に並べられたアート作品(映像の作品が中心の展覧会)が、次々に破壊されるスリリングな展開を見せる。3 一般的は生活圏から切り離され、安全が担保され、ある種の文化的聖域として存在する美術館の展示スペースが、加熱したグローバル資本主義が産み出した巨大銀行組織によって攻撃を受け戦場と化すという象徴的なシーンとして強く印象に残った。このシーンの背景にはスクリーンでの映像が多く映っており、グッゲンハイムでこのようなヴィデオアートの特集展をやっていたのか、アーティストは誰だろうか、展示中に派手な銃撃戦のロケ撮影をすることができたのかと興味をそそられた。

『ザ・バンク 堕ちた巨像』の1シーン

 そこでインターネットで撮影の裏側を調べたところ、俳優たちが街路から美術館のエントランスに入るところまでは、実際のニューヨークでのグッゲンハイムの前で撮影され、建物内部はドイツのバーベルスベルクのスタジオに巨大な実物大のセットを作って撮影したことを知った。そのセットにてあたかも個展を開催したかのように、作品を設営したのが、ドイツ人アーティストのユリアン・ローゼフェルトであった。 ちなみにテュクヴァは先に挙げた「ザ・バンク」以外では、近年では「クラウド・アトラス」(2012)などのSF映画も手掛けているが、90年代の小劇場系の映画を知る人には「ラン・ローラ・ラン」(1998)が日本でも話題となったことが思い出されるだろう。テュクヴァの最新作として、筆者はベルリン滞在中にトム・ハンクスを主演にした「王様のためのホログラム」(2016)をちょうど見ることが出来た。

 もう1つ付け加えるならケイト・ブランシェットはテュクヴァの「ヘヴン」(2002)でも主演を務めており、これはポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキがダンテ「神曲」をモチーフに3部作として制作を企画した「天国編」の遺稿脚本を元に作られた映画だ。イタリア・トリノを舞台に大企業に不満を抱き爆破事件を起こす英語教師役をブランシェットが演じている。公開当時に飛行機の中でぼんやり見たのだが、冒頭にあるフライト・シミュレーターや終盤のヘリコプターのシーンが、航空機内での鑑賞と相まって何とも不思議な気分になり2回続けて見た思い出がある。 ローゼフェルトは映画界とのゆるやかな関係の中にいる稀有な現代美術作家なのかも知れない。その意味で、映画作家は美術領域に対する客観的な立場でありうるし、またはアートは(特に映像を利用している場合)は映画領域に対して批判的な立場をとることができる。ヴィデオアートが映画とアートの両者の特性を比較し、境界上に成立すると指摘できるだろう。この場合ローゼフェルトがそのような立場のアーティストと言う事もできるが、どちらかと言えばヨーロッパの文化的土壌がそのような中間領域を育み、映画とアートのどちらにも関わる出来事を見出す事ができると言った方がいい。


侵犯か、浸透か
 前述の小難しい前衛芸術の宣言文を抜きにしても、ローゼフェルトのインスタレーション《マニフェスト》は、ブランシェットの7変化を楽しむことで成立する。オーストリア出身の彼女が様々な訛りの英語を話す。時にそれは訛りであり、口調であり、性差による口癖、たたずまいとして、全く異なる人物たちが、それぞれの環境で生きていることの群像劇として見ることができる。 作者の意図とは別に、「マニフェスト」と女優が作品の枠組みとなって、観客はその真っ暗な宇宙に所々に浮かぶ、有機的な惑星のようなスクリーン画面の、映画的物語の手法で作られた文学的で政治的なパロールの中を浮遊し、飛行してゆくことができる。マルクスから160余年、アヴァンギャルドから100年がたったという歴史上に現在の位置づけをさせ、その連関と分断の中から、映画と美術の間から読み解こうとする試みの中に漂うような経験を誘引させる。 この《マニフェスト》は劇場公開されることもあるようで、その場合各場面の主人公がマニフェストを謳うシーンはどのように構成されたのだろうか。1本の映画として劇場で上映されるものが、美術館では複数のスクリーンで別々に繰り返し上映されている。

 こうしたシングルチャンネル作品が、展示空間ではインスタレーションとして展開されることは、ヴィデオ/メディアアート分野なら、例えばハルン・ファロッキの作品などは上映と展示の2つの異なる鑑賞をしたことがある。ファロッキの《アイ・マシーンI-III Eye MachineI-III》(2000)では、インスタレーションの場合、観客は上映時間に縛られることなく、スクリーンからスクリーンへと、絵画を見るように自由な時間での鑑賞が可能だ。この場合、1画面での時間軸上でのモンタージュによる構築性は薄まり、空間的な同時多発のコラージュ的要素が高まる。一方で集中力することなく見過ごしてしまう、あるいは複数画面が同時進行するため、全部を把握することはできないなどの一長一短があると言える。ウルスラ ・フローネはヴィデオ・インスタレーションに関する論考で、ヴィデオ・インスタレーションのような空間的な映像の提示が、観客に対して移動可能な場を提供し、座椅子に座って映画鑑賞する際の画面内への没入感やイリュージョン性から解放するような主旨を述べている。4

 インスタレーション空間における映像の投影は、集中して見ることを観客に諦めさせ、むしろ自ら画面から画面へと選んで見ていくという点ではそのように考えることもできる。しかしこの映画的な鑑賞法と絵画などアートの鑑賞法の違いとは、一元的に語られるものではなく、映画的鑑賞の脱却としてのアートの展示空間があり、ファインアートなどの時間軸を持たない手法の表象の鑑賞からの脱却としての時間軸の再構成があると留めておいたほうがいいだろう。ローゼフェルトの作品のインスタレーションでの提示はまさにその点で、観客が自ら画面から画面へと渡り歩くあいだに、ある瞬間に全画面が同期することで、やはり観客は画面のなかだけでなく、インスタレーション空間に没入させられ、イリュージョンの中に取り込まれていった。このような参加による主体性か、イリュージョンによる没入かという議論でもう1つ重要なのは、このようなインスタレーション形式で観客は鑑賞している別な鑑賞者をみるという「見ていることを見ている」体験をするということだ。フローネの主張のように観客の自由移動が客観性を生み出すのではなく、むしろ鑑賞している主体としての観客同士が意識しあうことが客観性を生み出していることがわかる。

 《マニフェスト》のように映像の同期をとるのは多少の技術的な要素が必要で、メディア再生機間をネットワークで結び、シンクロさせるなどかなり必ずしも容易というわけではない。(冒頭で述べた展示閉鎖も技術トラブルによるものだった)何よりもホワイトキューブの美術館をわざわざ映画館のように暗くして、その最中をスクリーンからの明かりを頼りに浮遊するのは、鑑賞空間としての美術館と映画館の融合するハイブリットな場となり、そこで展開する作品映像の内容もハリウッドに出てくるような知られた女優のアイコンから、誰しもが知っている訳ではない前衛芸術の文脈というギャップがそこで展開される。前述の鑑賞の方法と相まって《マニフェスト》は、メディウムの垣根と歴史を越えたメタアート的な機能を見せつけた。

 ところでこの文章を書いている最中に、トルコのアンカラの芸術センターで、写真展のスピーチをしていたロシア大使がカメラの目前で何者かに銃殺される事件が起きた 。5
ネットで配信された映像からは、ホワイトキューブ空間に写真が数点展示されるなか、男が銃を構えわめく姿が流された。「アレッポを忘れるな」と叫んだと言われる犯人の動機は不確かだが、ふと筆者は上記のグッゲンハイム美術間で撮影された映画のアクションシーンを思い起こした。
トルコのロシア大使襲撃事件(Newsweekサイトから)
9.11のワールドトレードセンターへの飛行機の突入とその後のビルの崩壊を、当時繰り返された「ハリウッド映画のシーンのような虚構がNYという現実空間に入った」という言説をひっくり返し、スラヴォイ・ジジェクは現実が虚構に入ってきたと指摘した 。6
 それに従えば、トルコの事件も正に西洋中心主義の象徴でもある美術館という制度的空間に、招かれた/招かれざるに関わらず隣人や他者の存在と、全くすり合わせることのできないその思想や信仰のギャップという現実が入り込んできたと言える。美術館という(現実から乖離した)虚構の場に、砂漠での戦争や空爆という現実が入りこんできたかのように。 100年前の前衛主義者たちの言葉は今や、デジタルやネットワークという技術によってコミュニケーションや体験、そして何よりも「いま、ここ」だけが妄信的に信じられている時代を、的確に批判することはできないかもしれない。しかし、また同時に前衛主義の述べたマニフェストが隅々にまで浸透してきたことで、私たちは血肉となった前衛性を利用する機会をいつも持っているのかもしれない。問題は契機をどう起動させ、束ねて実践することができるか、だ。

1.ジャコモ・バッラ、ウンベルト・ボッチョーニ、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロ、ジノ・セヴェリーニらによる「未来派絵画宣言」(1910)、アポリネール「未来派・反伝統宣言」(1913)、ジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)、ごみ焼却施設の職員のシーンでは、ブルーノ・タウト「Down with Seriousism!」(1920)と「曙光」(1921)、アントニオ・サンテリア「未来建築宣言」(1914)、コープ・ヒンメルブラ(バ)ウの「Archtechture Must Blaze 」(1980)、ロベルト・ベンチューリ「Non-Straigtforward Archtecture: A Gentle Manifesto」(1966)、パーティ会場の社長では「表現主義」にはカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど。

2.Julian Rosefeldt:Manifest https://www.youtube.com/watch?v=oeAAXkhcQEE (2017年2月現在)

3. 偶然だがこの映画の冒頭もハンブルガー・バーンホフ近くのベルリン中央駅から始まる。

4. Ursula Frohne “Dissolution of the frame: Immersion and participation in video installation,”, Art and the Moving Image: A Critical Reader Tate publishing, London, U.K., 2008.


5. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/1210.php (2017年1月現在

6. スラヴォイ・ジジェク「現実の砂漠にようこそ」『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』中山元編訳、朝日出版社、2002年、p.188。

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