ラジオをテーマにした作品
2000年に僕ははじめて自分のヴィデオ・カメラを買って、当時住んでいた千代田区の防災グッズとして配られていた発電機・懐中電灯付きのラジオを使ったパフォーマンスをした。FM・AM切り替え可能なそのラジオはスピーカー部分を手のひらですっぽり覆うことができ、ぴったり覆って音がこもるのと開放にするのを手で調整するとラジオ音声にワウ効果や、機器自体を振ったり、カメラに近づけたりすることでフランジャー効果がでることを知ったのでそのワンアイデアで作った。カメラを録画スタートして、パッとつけたラジオ局で流れたのがアンドレ・ギャニオン「めぐり合い」で、それをラジオ機器をカメラの前でいろいろ音が出にくくしたり、チューニングを変えたりして、5分間ライヴで僕なりのラジオの演奏をしてみた。これがカメラを買った後の初のヴィデオ作品となった。
ラジオ好きが高じてpodcastでラジオ番組をやったこともあった。2006年に僕はTWS(トーキョーワンダーサイト)界隈で当時付き合いのあったアーティストらを通じて知り合ったIT系企業をスポンサーに毎回アーティストのインタビューを繰り広げる15分番組を作った。主な対談相手は代表を務めていたNPO法人ビデオアートセンター東京の企画でヴィデオアートの先駆者のインタビュー映像を録っていたのだが、そのカメラマンを務めていた大江直哉君と制作のプロセスとその様子と来日する海外アーティストのインタビューを行った。一部の復刻版がYoutubeでも聞けるようにしてある。これは自分としてもいろんな場所に行き、人と出会ったことの忘備録としてもすごくよかった。買ったばかりのMacBookairに入っていたガレージバンドでよく編集していたのを思い出す。
ラジオと映画をテーマに
さらにラジオ好きが高じてラジオをテーマにしたインスタレーションも手掛けた。2017年の京都国際映画祭のアート部門での『ラジオ活動/活動写真 Radio Activities/ Motion Pictures』(2017)というインスタレーションを制作した。元淳風小学校の放送室を展示室としてパラモデル中野さんと分けて、彼がボーカルブースの部分で、僕は調整室を展示室にした。テーマをオーソン・ウェルズのラジオドラマ「宇宙戦争」(1938年)にして、当時フェイクニュースとして世間をパニックに陥れた出来事を元に制作をした。当時はこのラジオドラマ視聴者の反応は冒頭にラジオニュースを模したドラマ部分があったことから一部に過剰に驚いた人はいたのは確かだそうだ。ただし本来はラジオメディアの伝聞で起こったことを新聞など別なメディアが検証すべきところを、ラジオという新興メディアへの半ば当てつけのように新聞メディアが悪乗りしたことにより、大げさになった可能性が大きい。(結果としてウェルズはこれを期に映画へと進出している)
《オーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』》2018、コラージュ |
この展覧会の話を貰った時、台湾でのアーティスト・レジデンスのプログラムにいたので、台湾でラジオと映画の絡む話として、《「悲情城市」(1989)に映っていない放送局》を作った。映画の冒頭の玉音放送のシーンは台湾にとって戦争終結のみならず日本による占領終結を意味した。その後、物語は中国大陸の介入から独立する台湾の様子を描くが、この映画には物語の転機となるはずの「2.28事件」については政治的配慮からほとんど具体的な描写がない。闇たばこの売り子が役人に暴行を受けたことがラジオ局(現在の2.28記念館)の放送に乗り、台湾全土に独立の運動が広まっていく。映画ではトニー・レオン演じる主人公のがろうあ者で、起こったことが歴史的にも黙殺されている印象を与えている。
《『グッドモーニング・ベトナム』の放送中》2018、左 《「悲情城市」に映っていない放送局》2018、右 |
もう一つのコラージュ作品《「ゴジラ」(1954)の放送塔倒壊シーン》は、「ゴジラ」第1作で原子爆弾によって誕生した怪獣の出現をラジオが茶の間に伝えるシーンを描いた。放送メディアの実況中継形式をかりて、架空の出来事を本物らしくみせる演出はウェルズの火星人と同じかも知れない。送信所の鉄塔に近づくゴジラを見上げ、汗だくの実況者が「いよいよ最後です。手を塔に掛けました。物凄い力です。いよいよ最後。さようなら皆さん。」と叫ぶ印象的なシーンを平面で表現した。
《「ゴジラ」の放送塔倒壊シーン》2018、左 《ジガ・ヴェルトフの『熱狂-ドンパス交響楽-』》2018、右 |
最後のコラージュ作品は《ジガ・ヴェルトフの『熱狂-ドンパス交響楽-』(1931)》(2018)は「カメラを持った男」などソ連映画の礎を作ったヴェルトフへのオマージュ。ドンバス地方は今となっては良く知られたウクライナ東部で、ヴェルトフの映画冒頭では女性がラジオのヘッドフォンをつけてソ連型計画経済の熱狂ぶりを「音楽」のように聴くシーンからはじまる。ヴェルトフにとって初のトーキー作品となった本作は、音への執着と、革命の手段としての映画や音響として、耳のためのモンタージュ「ラジオ・グラース」の考えの最初の実践となった。ヴェルトフは映画眼(キノキ)や映画真実(キノプラウダ)を謳ったことで知られているが、彼がラジオ耳(ラジオウーホ)なるものを示したことは意外に知られていない。ラジオウーホとは何だったか。彼のいう映画眼が肉眼で見る世界と違って、カメラを覗くことで見る人の眼の覚醒を喚起させることを意味するとするなら、さしずめ音そのものではなく聴くことの覚醒だろう。映画眼=カメラに対し、普通ならマイクやオーディオの語を宛がうかに思えるが、フィルム映画と共に当時新たなメディアとしてでてきたラジオを使っているところが面白い。 というわけで意外にもラジオに関する作品を作っていることの忘備録として、ラジオとの関係から書いてみた。
ぼくの耳カツ・ラジオ遍歴忘備録その1はこちら
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