2017年3月4日土曜日

「コンピュータ・アートの創生:CTGの軌跡と思想 1966-1969」書評

[書評]
大泉和文著「コンピュータ・アートの創生:CTGの軌跡と思想 1966-1969」
の書評を「映像学」という学会誌に書かせて頂きました。60年代末のコンピュータ黎明期の技術、企業支援・アートの動向を当時の等身大の若者の視点から見て取れて面白い一冊です!

https://www.jstage.jst.go.jp/article/eizogaku/97/0/97_91/_pdf

2017年2月21日火曜日

安全圏としてのアートの浸食するもの ユリアン・ローゼフェルト展覚書

安全圏としてのアートを侵食するもの  ユリアン・ローゼフェルト展覚書 瀧健太郎


ローゼフェルト《マニフェスト》(2015)
 2016年1月よりベルリンで開催されたユリアン・ローゼフェルト《マニフェスト》(Julian Rosefeldt, “Manifesto”)展の忘備録を記しておく。会場のハンブルガー・バーンホフは、ベルリン中央駅のすぐ近くにある元ハンブルグ行駅舎を再活用した、奥に細長い美術館だ。会場前には40-50人ほどの列ができており、そこに並びカウンターでいざチケットを買おうとしたら機材の調子が悪く展示は中止と知らされた。(最前列にきた時点で知らされるとこがドイツっぽい)。その日は敢え無く宿泊先に戻り、しばらく機会を失っていたが、周囲の知り合い何人からも評判を聞いた2か月後に再度挑戦することとなった。 展示会場は暗く、奥に長い展示室には13個のスクリーンが設置され映像が流されている。登場人物は教師、母親、工場労働者、浮浪者、振付家、TVニュースのアンカーウーマンなどなど様々なのだが、観客はすぐにそれらが1人の女優ケイト・ブランシェットによって演じられていることがわかる。

 プロローグシーンのみ人物は出ず、それ以外の画面ではブランシェット演じる12の人物がそれぞれの8分ほどの短編映画形式で、彼女(彼)らの日常のあるシーンを切り取って見せていく。ある画面では、北欧らしき街にて早朝に目覚めて、弁当を持ってバイクにまたがり出勤するゴミ焼却所のクレーン操作する女性工員を淡々と描く。また隣の画面では浮浪者がぶつぶつ文句を言いながらカートを押していく…などなど。

 観客は真っ暗な展示会場をその短編映画のアーカイヴの中を画面から画面へと、ブランシェットの分身を追いかけるように漂流して歩く。そして断片的に提示されたそれら切り取られた誰かの日常が、ある瞬間に、13の画面が同期し展開する。それぞれの画面の主人公たちがカメラ目線で、セリフをモノトーンの調子で歌うように口ずさみはじめるのだ。それぞれの歌のキーは別々になっており、和音として会場に響き渡る。このセリフはタイトルにもあるように、20世紀の様々な前衛芸術の「マニフェスト=宣言文」からの抜粋されている。

 入口付近の導火線が燃える「プロローグ」シーンには、マルクスと エンゲルスの「共産党宣言」(1848)、トリスタン・ツァラ「ダダ宣言」(1918)、フィリップ・スーポー「Literature and the rest」(1920)にはじまり、浮浪者のシーンにはコンスタンスやドゥボールなどシチュアシオニストらの宣言が、仲買人のシーンにはマリネッティほか未来派の宣言とジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)が、ごみ焼却施設の職員のシーンではブルーノ・タウトやコープ・ヒンメルブラ(バ)ウの建築家たちの宣言が、パーティ会場の社長ではカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど表現主義が、またパンク風の女性のシーンでは創造主義とストリデンティズム、科学者のシーンではナウム・ガボやマレーヴィチのシュプレマティズム、ロトチェンコの構成主義などが、葬儀での挨拶する女性のシーンではダダイズム、人形劇の演者のシーンではアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」とるーちょ・フォンタナの「白い宣言」、家庭のなかの母親のシーンではポップ・アート、振付師のシーンではフルクサス、シュヴィッタースの「メルツ劇」、ニュースの司会とレポーターのシーンではコンセプチュアル・アートとミニマリズム、教師のシーンではブラッケージ、ジャームッシュ、ラース・フォン・トリアー、ヘルツォークら映画監督の宣言文から、「エピローグ」シーンには建築家レベウス・ウッズの1993年の宣言文がそれぞれに引用されている。1
 ブランシェット演じる登場人物たちの設定と、これらの宣言文の明確な因果関係は一見わからない。作者曰く「(前衛芸術の)マニフェスト=宣言文が格式ばった美術史の重みから、開放させ、文学的な言葉の美しさや純粋さを抽出させてみたこと」が1つの試みであり、宣言文を再度パフォーマンスとして昇華させることにあったという 。2
 だとするとアートの前衛の先達たちの宣言文が、今日の(しかも女性の)日常のどこかに生きていて、その革命的な素地に溢れているというメッセージ、あるいはその状態にあってもなかなか変革が起こりえないことと指摘しているのかと推測できる。しかしそれを考えたり、感じたりする間もなく、主人公はまた元の断片的な日常に戻ってゆき、映像は繰り返される。観客はランダムにいくつもあるスクリーンを次、また次へと浮遊しいくことで、観客は生活世界と宣言文の理想との間に常に宙づりにさせられていく…。


映画とアートの境界

 ローゼフェルトは劇映画の1シーンのようなセットを組み、そこで繰り広げられる不条理なワンシーンという印象の作品を多く手掛けるドイツのヴィデオ・アーティストだ。筆者がローゼフェルトの名前を初めに知ったのはアートの文脈ではなく商業映画だった。 ドイツの映画監督トム・テュクヴァ(Tom Tykwer, 1965-)の『ザ・バンク 堕ちた巨像』(The International 2009年、米独英共同制作)の1つのハイライトシーンに、クライヴ・オーウェン演じるインターポールの捜査官が、国際的な巨大銀行組織が利用する暗殺者を追って、グッゲンハイム美術館の中で銃撃戦を繰り広げる場面がある。暗殺者は依頼者である組織の代表と美術館で会っているという設定で、暗殺者が口を割るのを恐れた組織側が更に傭兵軍を送り込み、フランク・ロイド・ライト建築のモダンな白いらせん状の展示室に並べられたアート作品(映像の作品が中心の展覧会)が、次々に破壊されるスリリングな展開を見せる。3 一般的は生活圏から切り離され、安全が担保され、ある種の文化的聖域として存在する美術館の展示スペースが、加熱したグローバル資本主義が産み出した巨大銀行組織によって攻撃を受け戦場と化すという象徴的なシーンとして強く印象に残った。このシーンの背景にはスクリーンでの映像が多く映っており、グッゲンハイムでこのようなヴィデオアートの特集展をやっていたのか、アーティストは誰だろうか、展示中に派手な銃撃戦のロケ撮影をすることができたのかと興味をそそられた。

『ザ・バンク 堕ちた巨像』の1シーン

 そこでインターネットで撮影の裏側を調べたところ、俳優たちが街路から美術館のエントランスに入るところまでは、実際のニューヨークでのグッゲンハイムの前で撮影され、建物内部はドイツのバーベルスベルクのスタジオに巨大な実物大のセットを作って撮影したことを知った。そのセットにてあたかも個展を開催したかのように、作品を設営したのが、ドイツ人アーティストのユリアン・ローゼフェルトであった。 ちなみにテュクヴァは先に挙げた「ザ・バンク」以外では、近年では「クラウド・アトラス」(2012)などのSF映画も手掛けているが、90年代の小劇場系の映画を知る人には「ラン・ローラ・ラン」(1998)が日本でも話題となったことが思い出されるだろう。テュクヴァの最新作として、筆者はベルリン滞在中にトム・ハンクスを主演にした「王様のためのホログラム」(2016)をちょうど見ることが出来た。

 もう1つ付け加えるならケイト・ブランシェットはテュクヴァの「ヘヴン」(2002)でも主演を務めており、これはポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキがダンテ「神曲」をモチーフに3部作として制作を企画した「天国編」の遺稿脚本を元に作られた映画だ。イタリア・トリノを舞台に大企業に不満を抱き爆破事件を起こす英語教師役をブランシェットが演じている。公開当時に飛行機の中でぼんやり見たのだが、冒頭にあるフライト・シミュレーターや終盤のヘリコプターのシーンが、航空機内での鑑賞と相まって何とも不思議な気分になり2回続けて見た思い出がある。 ローゼフェルトは映画界とのゆるやかな関係の中にいる稀有な現代美術作家なのかも知れない。その意味で、映画作家は美術領域に対する客観的な立場でありうるし、またはアートは(特に映像を利用している場合)は映画領域に対して批判的な立場をとることができる。ヴィデオアートが映画とアートの両者の特性を比較し、境界上に成立すると指摘できるだろう。この場合ローゼフェルトがそのような立場のアーティストと言う事もできるが、どちらかと言えばヨーロッパの文化的土壌がそのような中間領域を育み、映画とアートのどちらにも関わる出来事を見出す事ができると言った方がいい。


侵犯か、浸透か
 前述の小難しい前衛芸術の宣言文を抜きにしても、ローゼフェルトのインスタレーション《マニフェスト》は、ブランシェットの7変化を楽しむことで成立する。オーストリア出身の彼女が様々な訛りの英語を話す。時にそれは訛りであり、口調であり、性差による口癖、たたずまいとして、全く異なる人物たちが、それぞれの環境で生きていることの群像劇として見ることができる。 作者の意図とは別に、「マニフェスト」と女優が作品の枠組みとなって、観客はその真っ暗な宇宙に所々に浮かぶ、有機的な惑星のようなスクリーン画面の、映画的物語の手法で作られた文学的で政治的なパロールの中を浮遊し、飛行してゆくことができる。マルクスから160余年、アヴァンギャルドから100年がたったという歴史上に現在の位置づけをさせ、その連関と分断の中から、映画と美術の間から読み解こうとする試みの中に漂うような経験を誘引させる。 この《マニフェスト》は劇場公開されることもあるようで、その場合各場面の主人公がマニフェストを謳うシーンはどのように構成されたのだろうか。1本の映画として劇場で上映されるものが、美術館では複数のスクリーンで別々に繰り返し上映されている。

 こうしたシングルチャンネル作品が、展示空間ではインスタレーションとして展開されることは、ヴィデオ/メディアアート分野なら、例えばハルン・ファロッキの作品などは上映と展示の2つの異なる鑑賞をしたことがある。ファロッキの《アイ・マシーンI-III Eye MachineI-III》(2000)では、インスタレーションの場合、観客は上映時間に縛られることなく、スクリーンからスクリーンへと、絵画を見るように自由な時間での鑑賞が可能だ。この場合、1画面での時間軸上でのモンタージュによる構築性は薄まり、空間的な同時多発のコラージュ的要素が高まる。一方で集中力することなく見過ごしてしまう、あるいは複数画面が同時進行するため、全部を把握することはできないなどの一長一短があると言える。ウルスラ ・フローネはヴィデオ・インスタレーションに関する論考で、ヴィデオ・インスタレーションのような空間的な映像の提示が、観客に対して移動可能な場を提供し、座椅子に座って映画鑑賞する際の画面内への没入感やイリュージョン性から解放するような主旨を述べている。4

 インスタレーション空間における映像の投影は、集中して見ることを観客に諦めさせ、むしろ自ら画面から画面へと選んで見ていくという点ではそのように考えることもできる。しかしこの映画的な鑑賞法と絵画などアートの鑑賞法の違いとは、一元的に語られるものではなく、映画的鑑賞の脱却としてのアートの展示空間があり、ファインアートなどの時間軸を持たない手法の表象の鑑賞からの脱却としての時間軸の再構成があると留めておいたほうがいいだろう。ローゼフェルトの作品のインスタレーションでの提示はまさにその点で、観客が自ら画面から画面へと渡り歩くあいだに、ある瞬間に全画面が同期することで、やはり観客は画面のなかだけでなく、インスタレーション空間に没入させられ、イリュージョンの中に取り込まれていった。このような参加による主体性か、イリュージョンによる没入かという議論でもう1つ重要なのは、このようなインスタレーション形式で観客は鑑賞している別な鑑賞者をみるという「見ていることを見ている」体験をするということだ。フローネの主張のように観客の自由移動が客観性を生み出すのではなく、むしろ鑑賞している主体としての観客同士が意識しあうことが客観性を生み出していることがわかる。

 《マニフェスト》のように映像の同期をとるのは多少の技術的な要素が必要で、メディア再生機間をネットワークで結び、シンクロさせるなどかなり必ずしも容易というわけではない。(冒頭で述べた展示閉鎖も技術トラブルによるものだった)何よりもホワイトキューブの美術館をわざわざ映画館のように暗くして、その最中をスクリーンからの明かりを頼りに浮遊するのは、鑑賞空間としての美術館と映画館の融合するハイブリットな場となり、そこで展開する作品映像の内容もハリウッドに出てくるような知られた女優のアイコンから、誰しもが知っている訳ではない前衛芸術の文脈というギャップがそこで展開される。前述の鑑賞の方法と相まって《マニフェスト》は、メディウムの垣根と歴史を越えたメタアート的な機能を見せつけた。

 ところでこの文章を書いている最中に、トルコのアンカラの芸術センターで、写真展のスピーチをしていたロシア大使がカメラの目前で何者かに銃殺される事件が起きた 。5
ネットで配信された映像からは、ホワイトキューブ空間に写真が数点展示されるなか、男が銃を構えわめく姿が流された。「アレッポを忘れるな」と叫んだと言われる犯人の動機は不確かだが、ふと筆者は上記のグッゲンハイム美術間で撮影された映画のアクションシーンを思い起こした。
トルコのロシア大使襲撃事件(Newsweekサイトから)
9.11のワールドトレードセンターへの飛行機の突入とその後のビルの崩壊を、当時繰り返された「ハリウッド映画のシーンのような虚構がNYという現実空間に入った」という言説をひっくり返し、スラヴォイ・ジジェクは現実が虚構に入ってきたと指摘した 。6
 それに従えば、トルコの事件も正に西洋中心主義の象徴でもある美術館という制度的空間に、招かれた/招かれざるに関わらず隣人や他者の存在と、全くすり合わせることのできないその思想や信仰のギャップという現実が入り込んできたと言える。美術館という(現実から乖離した)虚構の場に、砂漠での戦争や空爆という現実が入りこんできたかのように。 100年前の前衛主義者たちの言葉は今や、デジタルやネットワークという技術によってコミュニケーションや体験、そして何よりも「いま、ここ」だけが妄信的に信じられている時代を、的確に批判することはできないかもしれない。しかし、また同時に前衛主義の述べたマニフェストが隅々にまで浸透してきたことで、私たちは血肉となった前衛性を利用する機会をいつも持っているのかもしれない。問題は契機をどう起動させ、束ねて実践することができるか、だ。

1.ジャコモ・バッラ、ウンベルト・ボッチョーニ、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロ、ジノ・セヴェリーニらによる「未来派絵画宣言」(1910)、アポリネール「未来派・反伝統宣言」(1913)、ジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)、ごみ焼却施設の職員のシーンでは、ブルーノ・タウト「Down with Seriousism!」(1920)と「曙光」(1921)、アントニオ・サンテリア「未来建築宣言」(1914)、コープ・ヒンメルブラ(バ)ウの「Archtechture Must Blaze 」(1980)、ロベルト・ベンチューリ「Non-Straigtforward Archtecture: A Gentle Manifesto」(1966)、パーティ会場の社長では「表現主義」にはカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど。

2.Julian Rosefeldt:Manifest https://www.youtube.com/watch?v=oeAAXkhcQEE (2017年2月現在)

3. 偶然だがこの映画の冒頭もハンブルガー・バーンホフ近くのベルリン中央駅から始まる。

4. Ursula Frohne “Dissolution of the frame: Immersion and participation in video installation,”, Art and the Moving Image: A Critical Reader Tate publishing, London, U.K., 2008.


5. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/1210.php (2017年1月現在

6. スラヴォイ・ジジェク「現実の砂漠にようこそ」『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』中山元編訳、朝日出版社、2002年、p.188。

2017年1月7日土曜日

ベルリン-2つの時代を歩く

ファシズムによって抑圧を受け、イデオロギーに分断された都市

独裁者の足跡
 ある土地の地表を引き剥がすことができたとしよう。するとその下に更に何が眠っているのか、夢想することは知的好奇心を活用した思考訓練となる。中沢新一の『アースダイバー』(2005) にあるように、現在の社会的・政治的・心理的な現象は、その地の地学的・気候的条件と全く無関係ではない。風水や磁場のように環境が人に与える影響や、ある場所の歴史的意味を知ることは、翻って現代人の在り方のルーツ探しであり、不可視の時間の流れを自分の足元まで繋げるような興味深い作業だ。

 2016年7月より3か月をドイツの首都ベルリンで過ごした滞在期間中、筆者は地下空間やそれに纏わる歴史的な空間を訪れる機会に恵まれた。渡航前に図書館で偶然見つけ、出発ギリギリに購入した河合純枝著『地下のベルリン』(1998) は、東西ドイツを隔てた「ベルリンの壁」崩壊の9年後に書かれ、首都となり経済や社会的な夥しい変化を迫られたベルリンと、旧都として今なお変わらざる姿を保っているその地下に注目した一冊だった。著者はフリージャーナリストで翻訳もされており、美術手帖のバックナンバーなんかでよくベルリンの美術展などを紹介されているのを見かけていた。

  「まちには、その町特有の地下があり、時代時代の地下もあり、人は、それぞれ自分の『地下』をもっている。」 (前掲書 p.17)と、著者は都市の地下を単なる人工的な遺物としてだけでなく、ある種の人類の心理的な空間の表れとしてみており、第二次世界大戦期の防空壕や東ドイツ時代(DDR)の逃亡用トンネルなど考古学や歴史的な構築物から、官庁や企業による貯蔵庫やインフラ、引いてはデパートの地下貸金庫を再利用したナイトクラブ「トレゾア(金庫の意)」に至るまで 、ベルリンの地下空間の1990年代最後の姿を著者がフィールドワークにより紹介してゆく思考訓練型のガイドブックだ。

トレゾアは2005年に一度閉鎖されており、その後はシュプレー川ほとりの発電所跡に移転している。

著者によればベルリン市やドイツ政府はこうした地下壕やシェルターの保存やその公開に後ろ向きだそうだ。ベルリン到着数日後、ヒトラーが最後に数か月籠った地下壕(ブンカー)の跡地を訪れたが、今では普通のアパートの駐車場に歴史を記すパネルが1枚立っているだけなので拍子抜けした。その地下4m下には、終戦時間もなくソ連軍が埋めた”Fueler’s Bunker”(総統の地下壕)と呼ばれた地下壕がある。総統の地下壕は総督府の地下にも繋がっており、映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004)でも描かれた32の部屋があり、1944年の12月から翌年のベルリン陥落まで3か月間のほとんどをヒトラーはここで過ごしたとのことだ。 総統の地下壕は、ベルリンの中心街にあるブランデンブルグやユダヤ人の記念碑など「目に見える観光地」に向かう途中に位置しているが、ほとんどの観光客はここを素通りしてしまい、地下に想いを馳せる人はさほどいないようだった。

住宅街にポツンと立つパネル(上)。その下に眠る総統の地下壕の図面(下)。




 ちょうど滞在中にクンストクヴァティエ・ベエタニエンの野外映画館で『帰ってきたヒトラー』(2015)が一晩上映されたのでみてみた。前述の『ヒトラーの最期の12日間』では、総統の遺体に兵士がガソリンをかけて、燃やすシーンで映画が終わるのだが、『帰ってきたヒトラー』はまさにそのシーンと繋がっているかのように、半世紀を経てまさに同じ場所であるその駐車場にヒトラーがタイムトラベルし、まるで続編と見まごうように少し焦げた総統が出現するところからはじまる。(蛇足的な続編を重ねたタイムトラベル題材の映画を仄めかしたのか、第一発見者の映像作家の青年は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の主人公マーティ同様に赤いベストをずっと着ている。) 同作は2012年の原作小説を映画化したもので、ヒトラーが現代の街中に出現するところが、実際の街の人(クリーニング屋、バー、路上に居る人など)に語り掛けるモキュメンタリー形式で、『この人誰?』的な市井の人々の反応から、ヒトラーに対する忌避や歴史的認識が一般的に薄れてきていると観客は知らされる。映画のほぼ最後に至るまで喜劇として進行するが、第一発見者の主人公が地下壕跡地の駐車場に、筆者も見つけた先にあげた観光用の解説パネルを発見することで、本物のヒトラーだと気づき、危険を感じて警告するも結局彼は精神病院に入れられてしまう…現在の世界的な右傾化傾向、スタイルだけで形骸化した右翼ではなく、本物のそれに変化しつつあることに対する強烈な批判がある。 蘇ったヒトラーが徐々に熱狂する人々を目にして、(ドイツ国民と)「また共闘できる」と呟くところなど、彼ではなく現実の世界がヤバイ方向に向かっていることが克明に提起されていく。そのことに気付いた少数は狂人扱いされる…という笑いごとではない状態を見る者に突きつけられる。

 話を元に戻すと、ヒトラーが籠城した地下壕(ブンカー)はもはや見ることができないが、ベルリンではいくつかの地下探検ツアーが観光客向けに用意されている。第二次大戦中の防御壁、総督府の地下、冷戦時代の東西分断で使用されなくなった地下鉄駅、東側から逃亡用のトンネルなど、興味深い様々な時代のツアーの内1つのナチ時代の防空壕のツアーに参加してみた。 地下鉄と国鉄駅の交差するゲズント・ブルンネン駅(Gesund-Brunnen=直訳すると健康の噴水、地域から天然水の温泉が出たことが由来だとか)近くのツアー集合場所から出発し、すぐ駅校舎に戻ることになる。地下鉄のホームから地上に上がる踊り場の何の変哲も無い扉から地下探索が始まった。地下鉄の駅構内に第二次世界大戦中の防空壕が隠れていたのだ。解説のお兄さんによればこの地下壕は、ナチス党が第一党になった1932年の翌年には着工されていたという。つまりナチス・ドイツ政権獲得と共に早い段階で戦争に入る準備をしていたということだ。

 地下鉄の駅には20人を収容できる壕が街のいろんな場所に接地されたそうだが、防空壕の一番の問題は室温、飲用水、トイレだという。 まずはじめに通されたのは元トイレだった場所だ。防空壕では爆撃などを想定して数時間は人が滞在できるように考えられていたという。簡素な便座が横に並んでおり、間仕切りは戦後物資が足りないことから、木材などを求めて市民が盗って行ったとのこと。壕内部は、鷲や戦闘機、兵士が勇ましく並ぶような戦意高揚あるいはナチスの威厳を示す壁画が描かれていた。 何故駅構内かというと、地下鉄の車両の動きがピストンのように機能し、室内の換気するようになっているとか。壕の中にはハッチがあり、そこから地下鉄の列車が通る管へと繋がっていた。また蝋燭の仕様は酸素を消費するので、変わりに、灯火管制下の暗闇でも何人が壕に居るのかわかるように、壁面に蓄光塗料が塗布されているなど、様々な工夫がなされていた。こうした防空壕は一方で、首都ベルリンへの内陸部の攻撃を早くから想定していたというよりは、ヒトラーが市民を守るための政策として人々に安全・安心を提供しているというナチス党のプロパガンダの一環だったらしい。

 しかし戦争も末期になれば、実際に使用せざるを得なくなったことは想像に難くない。ベルリン人々は、この暗く簡素な地下空間にどのような気持ちで隠れて過ごしたのだろうか。 この原稿を書いていたら、ネットのニュースでベルリンの地下で謎の住居が発見されたと報道された。鉄道工事の関係者が、地下空間に突如アパートの一室のように設えた住居を発見したという。誰がそこに住んでいたのかは謎だそうだが、電気や水道などのインフラは整っているから、拝借すれば夢の生活を堪能していた誰かさんがいても不思議はない。 近年話題に上がったヒトラー関連のニュースと言えば、「我が闘争」が2016年のベストセラーになったことだろう。 戦後ドイツ国内では禁書として再販されることはなかったが、2015年12月にその著作権保護期間が終了時に、右翼やネオナチ系の団体が勝手に出版する恐れがあることから、議論の末、内容に関する注釈と批判をつけて再販することになったという。確かに秘匿し続けたとしても、いずれインターネット等で偏った読解をされることを思えば、注釈付きの出版は勇気ある選択であり、自国の過去や歴史にきちんと向かい合う姿勢を見ることができる。
 さて、その他に壕内にはその他に、ベルリンで使われていた気送管と呼ばれる文書の入ったカプセルを空気圧で管内を送るシステムが見られた。ドイツのみならず日本でも19世紀後半くらいに大都市にこの気送管が主に郵便局間で張り巡らされ、言わばE-mailの先駆けのような情報網システムであったという。ベルリン市内の気送郵便管はしかし、1948年の東西分断によってそのシステムも分断されてしまい廃れたという。せっかくの未来志向型の伝達手段が、戦争とイデオロギーが台無しにしたのは積み深い。

東西分断の痕跡 
 東西ベルリン分断はもう1つの地下との関係を見せる。実際に壁が出来て、物理的に分断するのは1961年8月13日に東ベルリン側が鉄条網などを作り始めたことに始まる。東ドイツ(DDR)時代の東西ドイツを分け隔てた壁の向こうとこちらは、どういう様子だったのかを知るために2本の映画を見た。

 1つは『トンネル』(Der Tunnel,ローランド・ズゾ・リヒター監督、2001年)でテレビ放映のドラマを、2時間半強に纏めたフィルム作品だ。東ドイツ側のアスリートだった主人公が西側に脱出し、壁の地下にトンネルを掘り、西側に残った妹を始めとする友人ら29名を救い出した実話に基づいた物語だ。(主人公の妹役は『ヒトラー最後の12日間』で秘書を演じたアレクサンドラ・マリア・ララ。) 壁博物館で語られていた脱出を試みた人々の実際の様子が良く分かる興味深いドラマだった。主人公のハリーはこのトンネルの後もいくつか脱出口を作る専門家になったらしい。綿密に練られた計画と実行力には感嘆する。これは後で知ったことだが、このドラマの元となった実際の人物は、自分が東側への掘ったトンネルを出て、逃亡希望者と会った時の合言葉が「エイゼンシュテイン」「戦艦ポチョムキン」だったそうだ 。エイゼンシュテイン監督の映画史に残るソ連時代の映画は、水兵たちの叛乱を扱い、その後のロシア革命のきっかけとなる題材を扱っており、その共産主義圏からの脱出の際に皮肉として用いられたのだろうか。

 
もう1本は『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen, フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、2006年)では、共産主義に抵抗する主人公の劇作家が長きに渡り、私生活を盗聴されるのだが、その設置の手際が恐ろしい。秘密警察(シュタージ)専門官数人が住人の留守を見計らって秘密裡に僅か20分で盗聴器の設置は終わるというシーンがある。数分で終わるよう指示した秘密警察(シュタージ)の鉄則があったらしい。この映画の撮影が行われた秘密警察(シュタージ)本部が博物館として旧東ベルリンに今も残っている。盗聴以外にも、ピンホール型のフィルムカメラを壁面に設置や、中でも恐ろしいのは車のドアに取り付けられた赤外線照射の機構だ。その特殊加工された車両をアパートや家屋の前の道路に駐車すれば、室内に何人がいるかが視覚化され、反政府や思想犯の検挙に使われたという。 ある日突然、国家が分断され、思想を強要させてしまうイデオロギーとは一体何だろうか。つまるところ崇高な理念や理想とは、それがいかに進歩的な考えであろうとも、運用の段階でファシズム的な状況に陥ってしまう。共産主義の理念だけをみれば悪くなさそうだが、その運用はと言えば、いつの時代にも矯正や粛清を招き、まったくの失敗と言える。では資本主義や民主主義がそれほどいいのかと言えば、競争が貧富の差を生み、寡頭政治や政治化の世襲などの怠慢が生まれ、官僚主義などが蔓延し、やはり腐敗と怠惰を内包しており、権力側が人々に対して時々牙をむくという意味では変わりがない。

盗聴テープを操作する職員(上)/車両ドアに設置された赤外線照射の装置(下):いずれもシュタージ博物館から

 3か月のベルリン滞在の最後の1日に、マルティン・グロピウス・バウ(Martin-Gropius-Bau)にてDDR時代の前衛美術展を見ることができた。本命はピナ・バウシュ展で向かった美術館だったが、同時開催だった「抵抗の声:東ドイツ時代のアート1976-1989 Gegenstimmen. Kunst in der DDR 1976-1989」の方が、歴史やイデオロギー、政治とアートの関係を考える意味で、感銘を受けた。展示は東ドイツ当局に知られることなく地下活動を行い、暗喩的な表現でメッセージを忍ばせた活動を行った前衛芸術家の足跡を辿るもので、絵画、彫刻、パフォーマンス、音楽など実に多彩なメディウムを利用して、自由の獲得の為に闘ったアーティスト達の作品が集められていた。作品の選定にはどちらか一方だけ、ということではなく、中には当局の手先となり、アーティスト活動をしながら、西ドイツへの公演を通じて、スパイ活動をしたアーティストの作品もあった。 この展覧会で、とりわけ筆者が興味を持ったのはユルゲン・シェーファー(Jürgen Schäfer, 1941-)の絵画、《抱擁Umarmung》(1989、写真)だった。赤い背景に、キュビスムのような角ばった黒い人物がカラスを鷲掴みにしている本作は、明らかに体制側が飛ぶことの自由を奪っていると同時に、その状況が体制側による抱擁であるとする皮肉が込められている。


世界に再び立ちはだかる壁
 先に挙げた映画作品2作には、実在するモデルがおり、またこの東ドイツの前衛作家展の参加アーティストにおいても、何人かは存命しており、被抑圧的な状況から逃げる人の感情や、抑圧的で支配的になる人の恐ろしさは充分に共有される可能性がある。今ならシリア難民などの境遇が理解されるべきだが、にも関わらず移民政策を打ち出したメルケル首相の支持率が下がっていることは残念だ。 ドイツ帰国後に国境線に立ちはだかる物理的な壁として、スペインとモロッコ、ジンバブエと南ア、アメリカとメキシコの例を挙げ、世界に壁が増えているというドキュメンタリー番組 を見た。その3例だけでなく、北朝鮮と中国、韓国間や、シリア難民を防ぐEUの境界線など地球上に10数か所の壁を指摘しており、建設中の物を含め世界的に壁が「増殖中」だという。この番組の冒頭に引用されたのはベルリンの壁崩壊のシーンだった。1989年に打ち破られたイデオロギーの差異が産み出した長さ155kmの壁が、今またテロリストへの脅威と雇用不安や経済的側面からくる移民や外国人排斥の一つの物理的な壁の象徴として再度取り沙汰されているようだ。

 戦後、一般的に海外旅行が自由になり、貿易の自由化から物流が進み、1990年代以降の通信技術の進化とインターネットの急激な普及した現代社会において、人々の意識や考えは国境を情報網の「探検家」や「サーファー」の如く飛び越えたはずだった。砂漠の原理主義者たちが信仰上の排他的な考えを元にテロ行為を行うのは、歴史的に西洋世界に愚弄されて続けてきたことや、思想的な純化の結果とも思える。しかし欧米を中心とする国家の政治が、右傾化し他者の追随を許さない考えをすすめ、最終的な判断基準が何故国民国家を単位としているのかはまったく理解しがたい。もし右派の考えを究極的に推し進めてゆけば、個人までに落ち込み、さらにはその中の様々な気分や意識も分断するような危険性がある。個人の中の右傾・細分化だ。2016年夏のブレグジットでも焦点となった移民とテロの問題は、その背景に国防や安全保障を掲げながらも、シリア空爆など国外での軍事介入による弾薬・兵器の在庫処理の為の言い訳にされてしまっている。 越えられない壁、とは今や抑圧的な政治と民衆の間や、東西のイデオロギーの間ではなく、我々1人ひとりのなかに立ちはだかっていると言える。ベルリンで見てきた地下壕や壁もまた、当初は政治的な理由より以前に、独裁者や共産党の恐怖という心理的状況が具現化したものと考えることができる。

 東京には、このような歴史的な壁を見ることはないが、ウサギ小屋と呼ばれる蛸壺化した集合住宅など「お一人様」を区分けする物理的な壁は多々存在し、ほとんど隣人と接することなく生活できる状況を指摘することができる。また地下空間という視点では、何よりも戦後の経済成長の中で、狭い土地を開発してきたことから、地下を掘り進めていったことは容易に想像がつく。新宿西口の地下街には近未来的な場所と、ホームレスを排除するようなオブジェが設置されているディストピア的な空間もあり、また飯田橋駅や渋谷駅など有名建築家が手掛けたハイパー地下建築と言うべき場所も多々見られる。 様々な思考訓練となったベルリンの地下と壁を巡る旅がみせたように、衝突する2つの勢力を隔てる為に作られた壁、それにまつわる人々の逃れる地下、隠れる地下、守るための空間などは、現在進行中の政治的な状況として世界的な右傾化や反知性主義的な動きが跋扈し、新たな壁を用意していることを知らしめてくれた。大衆迎合の時代にあって、独裁や右傾化によって壁や分断を招くことなく、また真に自由を希求する者たちが再び地下へ逃げ込むことのない時代を築きあげることを、真剣に考えねばならない。