2020年1月30日木曜日

反証的仮構空間―ヴィデオと建築

虚実の二重焼き付け
 2019年8月に筆者は東京・住吉の妙壽寺猿江別院という寺院のギャラリー空間の一角に、映像投影する作品《コーナーピース#4》を展示した。同シリーズは特別に注意を払われない部屋の隅や、何気ない場所に映像を映す試みとして、過去に2005年と2009年に3回の発表を行ってきた。

 その契機には1999年に筆者がヴィデオ・プロジェクターを平面のスクリーンではなく、部屋の角に映し、そこから凸凹の立体的なオブジェ上への映像投影を行う作品に発展したことにあった。そこには各作品のコンセプトとは別に、連作を通して映像が持つフレームからの脱却が念頭にある。
《コーナーピース#4》(2019)瀧健太郎
映像史を紐解くとアベル・ガンスが3面スクリーンで制作した『ナポレオン』(1927)をはじめ、画家がキャンバスサイズや比率を自由に選ぶように、映画作家やヴィデオアーティストがスクリーン形式に対する様々な模索をしている。戦後には拡張映画から万博のパビリオンでの試みに至るまで、あくなき映像のフレームへの挑戦として探究されている。

 1970年の大阪万博で「インターメディア」と称されたいくつかの試みの中には空間や立体物へのフィルム映写が数多く模索されていた。松本俊夫の《スペース・プロジェクション・アコ》(1970)では、女性の彫像に同じモデルを映したフィルム映像を投影しており、彫刻は単に映像を映し出すスクリーンとして、もはや画面とは呼べず、それ自体が記号として1つは「女性の彫像」ともう1つは「女性のイメージ」の二種類の記号が相互に重ね合わさった状態として提示された。

 この場合、映画の支持体であるスクリーンが映写と同時にその存在感を失う一般的な映写とスクリーンの関係にはなく、スクリーンが映写にも強く関わってくるという特異性がある。鑑賞者は彫刻と映像を個別に知覚するのではなく、それぞれが干渉し合う、二つの異なる媒体による記号がぶつかり合う「スーパーインポーズ(二重焼き付け)」と呼ぶべきモンタージュとして経験されていると考えられる。

 筆者もまたそうしたインターメディア的試みを追体験するかのように、ヴィデオ・プロジェクターの実験するなかで、画面比率の関係ない表現を空間上に展開できることを発見した。この時、被投影の対象となる空間に、映像ならではの「嘘」を重ね合わせ、現実と非現実の相まみえる不思議な感覚を生み出すことに興味を覚えた。

 その過程にはカメラ映像が「一点透視」で機能していることが重要となり、撮影時にカメラ-対象空間の位置を記録しておき、投影時にはその同軸上にプロジェクターを設置すると、撮影時の空間のキャプチャを、対象空間に映像で再現することができる。これによりトロンプイユ(騙し絵)のような効果が得られるが、同時に撮影時のレンズの前にペットボトルや定規などの物体を置くと、カメラではそれらしく映っていた映像が、同じ映像を同じ空間に再度投影すると、プロジェクターに近い位置の物体は透視図法の関係で拡大されるため(プロジェクターと壁面の間に遮るものがないため)、実際に壁面まで到達した映像は歪んだ像となる。

また撮影時に照明を動かすと画面内に配置された物体の影は動き、同じ映像を同空間に投影すると、画面外の照明は映されていないのに影だけ動くことになる。さらに画面内に鏡を持ち込むと投影時には存在しないカメラが、投影時には観客側にあるように見え、ディエゴ・ベラスケスの絵画《ラス・メニーナス》の王夫妻のような映り込みが可能となる。そのような撮影範囲の外、画面外の要素を含んだ虚像を、実空間に重ねることは、時間軸の違いを空間的な知覚へと置き換えるズレを引き起こす。これにより実空間への映像の再投影の試みは、映像が虚像であることをより際立たせる。

スケールとカットの問題
 フィルム映画の誕生以降、我々は様々な映像のルールを学習してきたと言える。カットやズームの撮影手法では、例えば画面内の小さな人物は、カメラと対象との距離として理解され、遠くにいる人物として知覚される。逆にアップ/ズームインされた人物のイメージは近接するものとして理解され、スクリーン内のイメージは、現実空間と切り離された物理法則の異なる場として捉えられてきた。
《コーナーピース#4》制作中の様子


 ところが前述のような空間に対する映像投影の場合、比較対象となる部屋の構造物(梁やダクト)があるため、映像のスケールに関するルールが無効となる。つまり画面内部だけで成立する従来型の映像言語に加え、場や建築が持ちうる空間言語というべき物理的存在感と混在されてしまう。空間言語とは言わば我々が生きる実空間と地続きでライフサイズに展開する事物の存在や出来事だ。

 また建築や空間は機械仕掛けの構造でもないかぎりそれ自体が運動することはなく、自然光や照明による環境の変化、経年による質的な変化など比較的ゆっくりした時間を想定されている。映像と空間のメディウムとしての差異を踏まえると、イメージが空間に投影され、重ねられる場合、両メディアはお互いに補完関係あるいは批評的な関係にあるのではないか。両者は打ち消しあうのではなく、常にどちらの様相も伺いながら知覚されている。「スーパーインポーズ(二重焼き付け)」と筆者が呼びたいのはそのことであり、物理空間に光学的な記号の介入があることで、別な意味を引き起こす可能性である。

 そこではカットなど映画的な編集方法で寸断されれば、たちまち前述のようなスクリーンとして認識され直すのかもしれないが、カットのない長回しで実空間と同寸の映像を映し続けた場合、映像のスケールは空間とより密接な関係を余儀なくされ、そこに二重焼き付けを引き起こす。2018年に新宿ゴールデン街のバーで行った《空調機の自撮り》はそのような実験を示す。この場合、空調機と本棚の上に20cm程に縮められた人物像が繰り返し映され、展示時間内にずっと周辺を動き回り続ける。

 それはエリック・サティの言う「家具の音楽」のように観客は映像内の小人のようなその存在を無視することもできる。同時に普段はエアコンのダクトや配線、本棚の留め具などのオブジェに焦点が当てられ、我々がそのようなささいな存在を無視していたことに気づかされる。黎明期に家具として家庭に入ってきた、情報メディアとしてのTVが、次第に大型化したスクリーンは壁面として空間の一部に、小型化したモバイル機器は携行品として環境の中に分散された。二重焼き付けの方法論とは胡散霧消したメディアを場に引き戻し検証することなのかも知れない。

二つのメディアの交差
 ポーランド出身の現代アーティスト、クシシュトフ・ヴォディチコはこの「二重焼き付け」の効果をうまく利用した社会参与的な試みをいくつも行ってきた。スライド映写機を使った〈パブリック・プロジェクション〉シリーズの初期にあたる1980年代に彼は、ワンポイントのイメージを付加することで建築物を擬人化させ、官僚制への批判を行う。2000年代には建築ではなくN.Y.の公園に置かれたリンカーン像に、イラク・アフガンの帰還兵の顔を映し出し、彫像に戦場の悲惨さと帰還後の社会復帰の困難さを語らせている。

 《エイブラハム・リンカーン 退役軍人プロジェクト》(2012)で、ヴォディチコはアメリカ合衆国が歩んだ戦史という歴史的文脈を下地に、被害者の声と顔のイメージを利用し、現在も相変わらず戦争状態であることを公共の場において、批判している。この場合、南北戦争時の軍人でもあったリンカーンの「物理的な彫像」と現代の「帰還兵の証言」という二つのドキュメンタリー的要素が掛け合わされている。初期のヴォディチコのスライド投影がベルリン・ダダに参加したジョン・ハートフィールドと比較されたように、この2000年代の彫像への退役軍人の投影もまた一種のモンタージュとして読むことができる。

 ハートフィールドはナチスやヒトラーなどの政治家のイメージと、既存の別なイメージを掛け合わる巧みなコラージュを、自らフォト・モンタージュと呼称し、雑誌やポスターでファシズムの台頭に警鐘を鳴らした。そこには見えざる脅威を視覚化することで、人々にリアリティと対峙し、向き合うことを促したと言える。ヴォディチコの彫刻とプロジェクションの組み合わせもまた、異なるメディアによるモンタージュとして、起こりつつある現在の戦争体験が、歴史的な時間と交差することによって現出するように構成されている。

 そもそもエイゼンシュテインやヴェルトフが提唱したモンタージュ理論とは、イメージの意味や記号どうしを時間軸上にぶつけることで新たな意味を生成することであった。つまり因習や既成の事実として観客が知っていることに、新しい感覚=リアリティを呼び覚ますことが目論まれたと考えることができる。その理論から、隠された日常の記号や意味を私たちが探ることは可能だろうか。

政治的空間の起動・無効化
 拙作《ダーク・ツーリズム》(2019)はドイツの写真家カイ・ヴィーデンホーファーが、シリア北部の街コバーネ(Kobane)の空爆後の様子を映した写真展が、「ベルリンの壁」のコンクリート壁面を使って展示していたところを、壁とその観客と共に再撮影したものだ。人物の背景には同時代に起きている戦場を拡大した模造があり、そこを人々は単に傍観的に通過するか、またはスペクタクルとしてスマホの写真に収めるかのどちらかで、日常空間とは違う一種の虚構としての観光業(ツーリズム)を受け入れていたようだ。

《ダークツーリズム》(2019)瀧健太郎
では「リアリティとは何か」と問われれば、至極難しい問題で、我々は誰しもが本物かどうか瞬時にわかる一方で、その境界をどのように知覚しているのかは知る由もない。しかしながら上記のベルリンの壁に貼られたシリアの戦場のように、ひと昔前の出来事や遠く離れた場所での惨状をモンタージュするような場において、ベルリンを訪問した観光客はまさに虚構と現実の相まみえるような空間に立っていたことがわかる。

 人は、自分が知覚している空間が果たして本物かどうか疑うだろうか。あるいは生きている時間を疑い、どこか「別様な」時間を希求することはあるだろうか。 例えば映画「マトリックス」(ウォシャウスキー兄弟監督、1999年)で主人公ネオは、本物の世界そっくりに出来ている虚構の世界「マトリックス」に疑いを抱くが、目覚めれば荒廃した核戦争後の崩れ去った現実の世界に直面した。

 SFの世界観だけでなく「トゥルーマン・ショー」(ピーター・ウィアー監督、1998年)では、主人公は子供のころからずっと「リアリティショー」番組としてオンエアされ続けており、自分の住む世界がテレビ番組のために作られたものとして描かれたことも共通している。

 これらに対し3D映画で話題となった「アバター」(ジャームズ・キャメロン監督、2009年)の主人公はVR技術を利用した異星人に似せた代理の体(アバター)を利用し、宇宙開拓のために異星人を土地に潜入し、立ち退きの交渉に入り、その星の資源をぶんどる話が前半にある。この場合は、主人公が彼を取り巻く退役軍人あることや半身が付随で車いすであるという現実から、異星人の部族の王子になるという逃避であり、自分にとっての虚構の世界、つまり他者の現実に優位性を置くという物語の構図があった。

 これらの物語が象徴するのは、隅々にわたるまで用意されたサーヴィス社会的な「偽物」か、何もない砂漠のような、それでも現実の場所という「本物」を取るのかという二者択一の問いだと言える。換言すれば、それは経済優先の勝敗で人間が疎外されるギャンブル型社会の「リアル」さか、道徳や人間中心型の原始社会への回帰という抹香臭い「リアル」を取るのかという究極の選択なのかも知れない。

 また一方でこれら虚実の彼岸とは、既に我々の日常生活に深くかかわっている。スマホ操作に熱中する「スマホ歩き」は時に駅のプラットフォームから転落する事故も引き起こしており、画面内の視覚的な情報空間と、現実の世界の知覚のズレから生じる現象だ。またゲーム内の視覚情報と現実の世界が組み合わさることに魅了された「ポケモンゴー」現象は、アニメキャラを日常空間に現出させた以上に、社会に適合することに能動的ではあなかったオタクや引きこもりを家の外に出させたことは興味不快。ひょっとしたら仮想空間での彼らのアクティヴさを現実空間で行動させるという、仮想空間の延長上に彼らはポケモンを捕まえに公園に出ているのかもと思わせる側面がある。

 イメージと空間に関する虚・実を巡る逆転現象が起こる場合、何かの力が働いた故であるという風に思えることもある。構造計算書を偽造した2005年のいわゆる姉歯事件や、2018年の建設向けの油圧機器などの免振・耐震のデータを改ざんしたKYBの件などは、表面上は機能する建築と見せかけて、実際はそれに満たない映画の書割かセットのように作られていた。建築や都市の整備は経済的な圧迫を受けコストを下げると、現実の空間であることを放棄し、ほとんど「仮想現実として現前」する。

 このような特異な事件だけではなく、昨今の建売住宅のほとんどがCADといわれる3DのCGソフトで組み上げられ、プラモデルのようにユニット化されたパーツの組み合わせで建設されていく一連のプロセスにも仮想現実が現実化していく一面を認めることができる。このようにイメージと空間の融合とは、「イメージ=虚像」・「空間=現前する場」という固定的な状況設定やどちらかに優位性を与えるよりむしろ、イメージと空間が虚と実の混在するような状況についての思考を促してくれる。

投影+空間の示唆するもの
 《コーナー・ピース》は平面的な視覚技術であるヴィデオが、空間と結びつきリアリティに関わろうとする試行と、空間や建築物の固定的で不動の印象が運動や光学的なアプローチへと非リアリティへの接近との交差としてみることができる。前述の虚構化、現実化の二項対立で考える場合、どちらかの優位性を説くのではなく、それらを行き来するような新しい感性あるいは知覚を喚起させることで、現在のイメージや空間にまつわる問題系を超克できるのではないかというのが筆者の主張だ。

 また筆者の路上でプロジェクターを持って走る試みもそのような、実在する自分の分身(投影)を、現実のビルに現出させることで、単に他人の所有する建築に登ることや、重力から解放されることだけではなく、他者としての自分と現実の自分を虚実の関係性の中で、第三の可能性を喚起させ、両者を同時に知覚する、あるいは行き来しながら知覚する一つの思考訓練なのである。

 
二つのメディアを象徴する筆者のドローイング

2005年以降に各地で行われているプロジェクション・マッピングを、ここまでの議論と照らし合わせると、概ね二つの課題を見ることができる。一つは様々な建築ファサードの投影において、綿密にデザインされたCG映像などにより映像が建築を従来の意味でのスクリーンとして単に投影の支持体として利用している点と、また建築側も映像を構造上に付加された光学的な装飾としてしか利用できていない事例が多いことだ。

 もう一つに被投影体となる建築や構築物の物理的な経年や歴史的な時間を、映像編集上の操作された時間が交差させるような根本的な実験と試行がなされていない点だ。「プロジェクション=投射」を心理学的に読解するなら、それは他者から自己に向けられる視線に自己の無意識を「投射」だ。そしてその「マッピング=位置付け」が可能であるなら、場や建築に潜在しつつも、何らかの抑圧や外圧によって照射できてないイメージが投影されるべきではないか。

 今のところ一般的にみられるプロジェクション・マッピングの事例では、建築や構造物を立体的なスクリーンとしてイメージ投影しているものの、平面に映していないこととの明確な差異が見いだせていない。だとすれば建築と映像、実在と虚像の要素を相互に引き出す《コーナーピース》のような試みはまだしばらく有効な実験なのではないだろうか。

 二重焼き付けとは異なる複数のメディアを同時に理解し、仮想空間が現実に入り混じるとき、実際には現実と認識している空間こそ仮想的で内実がないことや、ひいては都市のスペクタクル化により都市に中身があったのかという問いを喚起させる契機となり、同時に浮上してくる二つの問題を理解することがあってもいいだろう。それは人の現実か蝶の見ている夢なのか、どちらの優位性を認めず、同等に捉えた荘子の「胡蝶の夢」で示された逸話に似ている。細分化された目的論的な受容ではなく、統合されたものとして実践を促す実例なのだ。

2019年5月23日木曜日

K.ヴォディチコ研究論文の掲載

横浜国大都市イノベーション学府博士後期課程・都市イノベーション専攻から発行された「常盤台人間文化論叢」に研究論文「ヒロシマとフクシマ:現れの場としての〈顔〉─日本におけるクシシュトフ・ヴォディチコの受容」を掲載しました。

常盤台人間文化論叢 2019.3 vol.5

全文はこちらでご覧いただけます。
横浜国立大学学術情報リポジトリ

2019年5月20日月曜日

《トレジャー・ハンター》制作ノート

《トレジャー・ハンター》制作ノート
瀧健太郎

歴史的空間という舞台装置 
台北市公館近くにあるトレジャー・ヒル
屋外のマルチ・プロジェクションを利用したインスタレーション《トレジャー・ハンターズ Treasure Hunters》(台湾語表記:尋寶獵人)は、台北國際芸術家村トレジャー・ヒルの建築外壁の為に制作され、2019年3月30日から5月5日までの夜間に映像の投影がおこなわれた。筆者はこの半年前に台北國際芸術家村が運営するもう1つの台北中央駅近くに位置するアーティスト・インレジデンスに、2018年7月から3か月滞在した。その際には分断する世界の壁をテーマに、上下左右の物理的に間仕切りで分けられた複数の人物の営みを映像投影した作品《…的境界 Borders on…》(2018)を発表している。その展示を観た台湾國際芸術家村のディレクター、キャサリン・リー(李暁雯)から帰国前に光節で作品を展示しないかとの話を頂き、9月末にトレジャー・ヒルのロケーション探しを行った。

 トレジャー・ヒルは台北市西南部を流れる新店渓のほとりに位置し、第二次世界大戦後の1940年代後半に大陸から移り住んだ国民党系の退役軍人らが不法占拠した際に建てられた築70年を越える集落で、それ以前の1895年から50年続いた日本による統治時代には、軍部が水源を守る為に拠点を置いた場所でもあった。しかし経年による老朽化もあり台北市は一旦この地区の再開発も考えたが、建築的に意義があるとのことで2010年に芸術家村として維持・管理して利用されることになったという。 丘陵地帯に南北に長細く続く地形に、ひしめき合うように建てられたコンクリート造りの住居には、セルフビルドを繰り返したと思われる複雑な形状や突飛な位置の玄関や窓などがあり、細い路地や階段を通り抜けて辿りつく為、散策するだけでも非常に興味深い場所だ。


何を映し出すか
展示会場の外観
筆者の興味としては、2010年代から屋外でのヴィデオ・プロジェクターを利用したインスタレーションを制作してきたこともあり、このトレジャー・ヒルの建築ファサードを利用し、場と結びついた人々の営為を何らかの形で映し出せないかということにあった。それは通常の壁面投影やスクリーンへの上演ではなく、70年の歴史の上で形成されてきた凸凹の住居の改築や増築の痕跡を利用することで、経年や歴史的背景を作品に取り込み、あるいは自分の作品を現実的な空間と融合させるような試みを想定していた。

 会場視察の際に、このような考えを一番実現できそうだと考えたのが、メインの通りから細道を入ったところにある、トレジャー・ヒル内のクロスプラザ(十字広場)と呼ばれる一角であった。そこは不揃いな3階建ての建物で、2階に芸術家村の事務所と、2-3階には芸術家のスタジオ兼住居と、アニメーショの制作スタジオとして現在使われている。(正面2つの壁面には、裏側に入口のある2階の事務所からすると地階があるはずだが、入口も見当たらず、内側に何があるか不明なまま…)

 この展示の場所だけを半年前に決める形となって帰国の途に就き、2018年の年内に計画を構想していった。展覧会全体のテーマが”Land of Happiness”(幸福の世界)とのことだったので、歴史的な背景と、現代の中国覇権を巡る台湾の地政学的な位置づけや、水を始めとした環境資源を収奪しようとするグローバル企業の思惑も考慮し、「幸福」を求めて人物が3階建ての建物の壁面を登っていくシンプルなものを考案した。

検討用のドローイング
屋外でのこのようなインスタレーションでは、提示されるイメージだけでは、物語性や複雑なメッセージを込めることが難しい。というのも観客はもちろん展覧会の作品分布が示された地図やカタログを片手に、この作品を目指してくる者だけでなく、その多くはトレジャー・ヒルの散策しながら、ふとこの空間に辿り着く観光客も想定され、展示がそこにあるとは思っていない偶然の鑑賞者が考えられるからだ。彼らはそこに長くとどまることもあれば、ほんの数秒で通り過ぎてしまう場合もある。作品はいずれの場合の人々にも向けられるべきで、同じ映像でも映画のように起承転結や物語性を入れると途中の場面に遭遇した人には前後関係がわからず、ひと区切りが終わるまで「待つ」という鑑賞体験に1つの煩わしさを与えてしまう可能性がある。

そのような対応策として、筆者は横浜の黄金町で行った《invitation#1/#2》で3か所の投影が京急線の高架下に展開した際には、7分のダンサーの動きを繰り返し映し出した。等身大に見えるように身体を橋脚に映し出されたので、これは映画的な作品というより、常に上演されるパフォーマンスに近く、鑑賞者と作品が同じ現場にあるようにプロセニアムのない場面設定がなされている。これにより鑑賞者が物語性を時間をかけて読み取るのではなく、空間を瞬時に知覚し、場とイメージの関係性を直観的に感じてもらえるような効果が意図されている。人物のイメージを場へ焼き込み(スーパーインポーズ)させていることをみせたかった。

 とはいうもののこの形式にはまったく物語性がないかと言えば、そうではない。登場人物たちは彼ら独自の物語として、数分の間でも何かを実行し、一区切りの動きを終えることになる。

 台北での《トレジャー・ハンター》の場合は、20名ほどの人物を準備すれば、少しずつ人数が入れ替わっても、常に数人が3F建ての建物の6面を埋め尽くすことができるだろうと踏んで、構想された。登場人物が壁を前に演技し、常にいろんな場所で出来事を起こるような群像劇として、観客は1人の人物の動きを追ってもいいし、全体を動きのアンサンブルとして見てもいい、という大よその目論見が出来上がった。



現地との共同作業
 制作には撮影と設営の2回台湾に行く必要があるという筆者の要望に対し、主催者も応じてくれ、年明けからEメールを通じて綿密なやりとりが行われた。まずは登場するボランティア・アクターたちの募集が芸術家村のサイトやメーリングリストを通じて呼びかけられ、最終的に10代から40代までの男女22名の地元の候補者が名乗りを挙げてくれた。筆者は2月の半ばに再度台北を訪れ、朝10時から18時まで4日間に渡り撮影を行った。スタジオ内にスロープ状と垂直型の2つの壁面セットを用意し、それぞれグリーンバックと呼ばれる映像合成用に使われる布を設置した。
実際の投影場所をパフォーマーに説明し、演出中の筆者


 インターネットを通じて応募してくれた22名のパフォーマーは、それぞれ1時間半くらいの時間で動きを撮影した。集まったボランティア・アクターには、それぞれ「目の前の壁があるとき、どのように上るか」、「幸福を妨げるものにどう対処するか」、「あなたの宝物は何か」などの質問を投げかけ、彼らのアイデアを反映させた動きを30秒程度のシーンで演じてもらった。

 彼らの想像力を掻き立てるため、実際の場所を見せて、最上階をゴールと考えるとどこからどう上っていくかを相談し、各壁面ごとの動き・次のカットへの繋がりなどを考慮しながら進めていった。更に、ただ上り詰める成功パターンだけでなく、敵の攻撃やあるいは複雑な建築構造を登り切れずに落ちるパターンも撮影した。それぞれ自分なら、こう登っていくなど即座に答えてくれ、また宝物として答えてくれたのも、金銭的なものから、家族といったものまでいろんなパターンを引き出すことができたので多様な展開ができることになった。彼らのほとんど英語ができたので(中には流ちょうな日本語を話す人も)、理解がはやく、即興的に面白い動きを考えて演じてくれたので、全員分の撮影カットを使うことに決めた。

 この作品にはトレジャー・ヒルの建築の特異な形状の壁面を登っていくアイデアから、任天堂による「マリオブラザーズ」「ドンキーコング」といった初期のTVゲームの固定空間のステージを登って攻略する要素を思い描いていた。その為インタラクティヴ性はないものの、プレイヤーを妨げる象徴的な「敵」キャラクターが必要であり、当初はそれに歴史的な背景から日本兵や中国軍の兵士を仄めかすシルエットを映そうと考えていた。ちょうど2階にあたる芸術家村オフィス部分には広い窓がリノベーションによって取り付けられていたことと、この窓に向かって室内で打合せ用に使うヴィデオ・プロジェクターが備わっていたため、これを使わない手はないと考えた。既に屋外用に5台のプロジェクターを必要としておりそれ以上機材を増やすことができず、このオフィス内機材も稼働させることにした。

 主催者側から日本兵のキャラクターなどは、やや具体的すぎるかも知れないというので、アニメーション表現を使って、現代人の幸福を妨げそうな5つの敵キャラクターをシルエットで交互に映し出した。設定したキャラクターはそれぞれ死を意味する「骸骨」、男性中心主義と抑圧を示す「筋肉男」、不寛容で一元的な官僚制を示す「スーツの男」、因習とオカルト的な「魔女」と、A.I.など近い将来に人の職場を脅かすかも知れない「ロボット」が、彼らに因んだ道具、毒りんごや歯車などを、登場人物たちに投げつけるようにした。

構成検討用の動きのスコア
2月の撮影から帰国後さっそく編集作業に入るも、ボランティア・アクターたちの撮影カットは1人15~20カットあり、全体で400カットにも及んだ。その中から成功パターンと失敗パターンの2種類を選択し、人物だけを切り抜き、背景が黒になるように操作していく。また服の色が背景に沈んでしまう場合は色合いや輝度を調節していった。

 展示会場で観客は実際9分弱の映像の繰り返しを体験するのだが、実際は6台のプロジェクターにそれぞれ9分ずつあるので、約1時間分の映像素材を作らねばならない。6つの時間軸がパラレルに展開するので、スコアのようなものを作ってはじめたが、作業の最後には、全体のタイムラインをコンピューターの画面上で一括して俯瞰できるようにし、何が起こっているかの相関をみながら、映像のカットを抜き差ししていった。この作業は映像作品を作るというよりは、何か舞台の演出かあるいはオーケストラの指揮をするような感覚に近かった。朝8時くらいから作業をはじめ、夜10時くらいまで続け、それでも画像処理に時間がかかり、コンピューター2台を駆使して最終的に1ヵ月ほどを要した。


壁を巡るゲームの構築
設営機材はすべて防水仕様に
3月の半ばに設営作業のため再び台北を訪れた。設営業者にはプロジェクターの天吊り用の台と屋上に設置するプロジェクターの風雨除けの屋根部分だけをお願いし、それ以外の作業は即興的にやる必要があるため、主宰側のインターンやスタッフと筆者とで制作していった。展示期間の1ヵ月間、屋外での投影を行う為、機材を風雨から守らなくてはならず、また音声の為のケーブルや電源についても考えなくてはならない。スピーカーはタッパーと撥水生地を利用し、簡易の防水スピーカーを5つ制作し、それぞれの壁面近くに目立たぬように置いた。3階部分の壁面の映す映像は、手前の2階建てのスタジオの屋上部分に、プラスティックケースを利用した全天候のプロジェクターのケースを作成した。前者のパーツは光華国際電子廣場という台北の秋葉原のような場所で細かな電子パーツやネジ類に至るまで現地調達して制作した。

建築物への設置の様子と台北の電子パーツ店
黒バックの人物像を壁面にちょうど等身大になるように映し出され、観客にどこからが映像のフレームなのかが一見してわからないようにしている。また同時に被投影体である建築が物理的なフレームとして意識されるよう演出した。

 途中、雨天で作業が滞り、また筆者が蚊のアレルギーで体調を崩すこともあったが、展覧会の記者会見前日までに完成をみた。展覧会「野景― A Land of Happiness」は、中国の新年である春節を終わらせる灯篭祭りに因んで、昼から夜の22時まで毎日、光にかかわるアートを夜間に行うものだった。初日のオープニングのイベントには5千人を越える来場者があり、以降も平日で平均8百人、週末は2千人に及ぶ観客があった。筆者以外には日本からは磯崎道佳、スペインからOlga DIEGO、郭奕臣、人嶼ほか台湾の現代アーティストなど、総勢13のプロジェクトが同展に出品していた。

 筆者はこれまでも何度か屋外にヴィデオ・プロジェクターを利用したインスタレーションやパフォーマンスを行ってきたが、投影の範囲と演出面の複雑さを鑑みると、今回ほど大掛かりなものを手掛けたのは、はじめてとなった。場の特異性を生かしたインスタレーションを制作することは、その場所の経年や歴史と少なからず向き合い、またホワイトキューブという加護の無い場所に設置することは挑戦的な試みである。これに加えて従来のフィルムやヴィデオに付随した画面の境界としてのフレームの問題を、本作では現実世界の生きづらさや困難さと重ね合わせるという1つの実験的な挑戦であった。




完成した屋外の投影型インスタレーション
「トレジャー・ハンターズ」とは幸福を目指すために様々な努力をする現代人を代表しており、それらには誰もが上り詰めていけるという平等意識と、一方で機運により取捨選択される不条理さという、矛盾が渦巻く現実世界を象徴させたつもりだ。我々は意識的・無意識的に関わらず他者を蹴落とし、自らを高みへと移行させようと努めるよう社会的に強いられていると言える。それは現代の過熱した資本主義社会が、我々の競争原理をも加速させている結果なのかもしれない。そのような現代人の幸せに対する営為と、世界で林立しつつある壁の問題を縮図化させる形で、歴史あるトレジャー・ヒルの一角に夜の数時間のみ集団的な場への書き込んだことが、現代人の矛盾についてほんの少しの間でも考え、記憶に刻まれればと願う。

 出演してくれた22名の皆さんには自身の演技が場所と重ねられるという特異な体験をしていただき、そのような体験を共有できたことを嬉しく思う。主催の台北國際芸術家村のディレクター李暁雯、キュレーターの李依樺、担当だった鄭名均ほかスタッフやインターンの皆さんにこの展覧会の機会を作ってくれたことに感謝の意を述べたい。次回作は未定だが、この経験を活かし、しばらく場と人々のイメージを投影する試みを続けていきたいと考えている。


2019年4月22日月曜日

博論執筆の忘備録

バック・トゥ・スクール!
 筆者の博士論文審査が2019年1月末に行われ、3月26日に晴れて横浜国立大学大学院の学術博士の取得という運びとなった。(プルプル…打ち震えて!)筆者は国大の社会人枠として本来3年間の課程を、働きながら最大6年まで延長して在籍できる手続きを取っていた。しかし正直な話、経済的困難もあり、あと1年延びていたら断念せねばならず、実際に5年間で終えることができてホッとしている。

 事の発端はまだ以前に勤めていた早稲田大学の映像系専門学校の教員だった際に、自分の考えを纏めて、書くことが必要だと考えたことにある。筆者はヴィデオを使ったアート制作と発表を続けており、それまでもアートイベントや美術館での発表の機会に恵まれてはいたものの、自作を含めたメディアの状況やアートの現状などを日記的に記録する以上には発展しないことに少し物足りなさを感じていた。

 何よりも日々仕事に追われ、本を読む時間がなく、読んだとしても断片的に拾い読む程度で、主体的に書籍を選み、考えを紡ぐ文脈を見出せずにいた。またその勤め先の学校が学生募集を停止し、筆者は解雇の身となるのだが、その際に大学院以上の学位がないと教育機関として留任させることができないという趣旨を学校側に突き付けられたことも一つの理由だ。つまり、いくら作品制作や発表の実績や、教育現場の経験があったとしても、所詮アカデミックな現場にはそれ相応の資格がなくては「いつでもさよなら」だということだった。これには幾分か腹が立ったが、言われてみれば、アートや表現行為を客観的に精査する能力を自分が持っているかは疑問だった。解雇前に担当していた学生が、進学するというので、親身になって相談に乗りつつも、筆者もそれらの情報から「自分ならどこで勉強したいか…」といくつか目ぼしをつけていった。  

 解雇後は再就職する予定で仕事を探したがなかなか条件に合う職場がなく、そこで一旦再就職は諦めアルバイトをしながら、当時は多少貯蓄もあったので、博士課程の3年くらいは何とか学費は支払えそうだと踏んで、その後改めて進学を目指すことにしてみた。


道のりは遠く
 大学院受験には研究計画が必要なのだが、当初は「都市と映像メディアの関係」という非常に抽象的で、曖昧なテーマを掲げていた。これでは研究対象が明確でなく、何一つ具体的に論じることはできない。しかし筆者はヴィデオアートの制作活動をするなかで、どうしても都市の問題系と、メディアが持つ「情報操作による欺き・はぐらかし」とそれを「逆手にとって抵抗すること」の両義的な意義への興味が年々強まっており、どれだけ貧しい結論であったとしても、自分なりに一度向き合ってみたいと考えていた。  

 折しもアカデミックな分野では文理融合の考えの下、学際的で複合的な学科がいくつか開設されており、横浜国立大学に都市イノベーションという建築と美学の横断的領域ができたことを知り、さっそく映画系の先生に連絡を取ってみた。メールのやりとりで、筆者の考えている方向ならこの先生ではと、視覚論の先生を紹介され、結局その先生は博士課程の主査になれないということで、最終的に室井尚さんを紹介していただき、先生との相談で入学をすることになった。室井氏は思想、美学、科学、メディア論まで幅広く研究を展開されてきた方で、演出家の唐十郎を横浜国立大学に呼んだ人として筆者が学生の頃に知っていた程度で、後に北仲スクールや横浜トリエンナーレでの「巨大バッタ」を手掛けた作家兼オーガナイザーとして活動された方だということが徐々に繋がっていく。室井氏からしてみればアーティスト気取りに若い兄ちゃんが何か論文書きたいといって、ひょっこり現れた程度にしか思っておられなかったと思う。実際そうだし、面談を繰り返す中で「君には書けない」「無理」と何度も念押しをされた。  

 考えてみれば筆者が修士論文を書いたのは20年前の90年代半ば、その時の論文は2万字程度の簡単なもので、制作と論文の両方の提出だったので、今読み返せば事例を挙げ共通点を見出すだけに、レポートの延長的なものでしかなかった。

 それに対し、今回はまず研究テーマの再考にはじまり、2年間ほどはほとんどそれに費やす事になった。ここから言い訳なのだが、社会人大学院生といっても、結局のところ筆者には美大の非常勤講師に仕事がたまにあるだけで、それだけでは生活も成り立たないため、アルバイトをしながらの就学となり、この仕事との時間調整が非常に難しかった。フリーランスとしてカメラ撮影と編集の他、ヴィデオアート作品の修復調査や、WEBデザインなど、出来ることは何でもこなした。当然、いずれの仕事も短縮して手を抜くわけにもいかず、結局研究する時間を蝕んでいくことに。同時にNPOで活動しているアート活動のマネジメントや、不定期に入ってくるアーティストとしての仕事も断るわけにもいかず、論文執筆に当てる時間がなく作業は遅滞していった。


3年目の正直… 
 横浜国立大学の博士課程では初年度は授業に出席が必須とのことだったので、週2、3日は大学に赴き、キャンパスライフを謳歌することになった。帰宅後と大学の無い日に仕事を行う事になり、家族には経済的にも時間的にも負担をかけてしまう。2015年にはインドネシアの国際学会で発表をするも、まだピントが曖昧で、担当教授からは、まどろっこしく何をやっているかわからない学生として映っていたと思われる。それでも3年目に入ったところで、それまで都市と映像の関係としての項目に夜間の都市へのスライド投影として取り上げようとしていたクシシュトフ・ヴォディチコついて、きちんと取り扱ったモノローグとしては論文執筆してはどうかという話になり、そこからようやく集中的に作業が動き始めた。  

 筆者はまず対象に関わる1960年代から近年に至るまでの主要な英語文献を訳すところからはじめ、課程の3年目と4年目はほとんどこの作業にあてられた。この作業の間に論文のテーマを決めていくのだが、先行的な研究や論考を読み進めていくと既に取り上げられ、解決済ということもあり、新しい視点を見出す事は難しかった。また実作を2011年の横浜トリエンナーレでしか見たことがなかった自分としては、ヴォディチコの〈パブリック・プロジェクション〉シリーズや装置類などをより詳しく検証したいと考え、より細かな調査を開始した。  

 3年目となる2016年3月に、フランスのクレルモン・フェランのヴィデオフェスティバルに呼ばれ自作を発表する機会を得たので、パリ経由でTGVに乗ってナントに赴き、ヴォディチコの《奴隷廃止記念》(2011)のモニュメントを見学した。また同年には東京都のアーティスト・レジデンスの助成金が取れたので、3か月のベルリン滞在期間中、そこを拠点として、イギリスはリヴァプールで行われていたヴォディチコの回顧展と、またポーランドはワルシャワとウッチに行き、彼のポーランド時代の作品や活動と、同時代のメディアアートの状況について調査した。また8月の末にヴァイマールで行われたゲーテとシラー像への投影に参加し、現場を見ることができた。そしてこのヨーロッパを滞在中に、手に入れるべきカタログや資料を手に入れることができた。それまでこのインターネットの時代においても、オンラインでは入手困難な資料があったので、非常に助かった。また自身の制作活動を通じて、前年に来日していたポーランドのヴィデオ・アーティストと知り合っていたので、彼を頼ってウッチを案内してもらった。

 この間、飯村隆彦さんからMITが出している美術誌「オクトーバー」のバックナンバーを大量に譲って頂き、この中にヴォディチコのインタビューや関連文献を多く参照することができた。また20年ほど前に知り合った福住治夫さんが編集させる『あいだ誌』にも和訳の文章を見つけるなど、これまでの筆者のツテを頼って資料を手に入れることができた。  

 翌年2017年7月にヴォディチコ氏が横浜での作品制作を模索するべく来日し、彼の将来のプロジェクトのための調査を行った。室井氏率いる横浜都市文化ラボ主催で何度もヴォディチコを招聘し、本人とも話をさせていただく機会に恵まれ、これらはほとんど筆者の論文のためのイベントとも言え、感謝の意は尽きない。この年の8月にソウル現代美術館でのヴォディチコの回顧展を見学させていただいたのも横浜都市文化ラボのワークショップの一環で、書きかけていた断片を少しずつまとめて行った。  

 形式的で門切型の文脈での分析しかできていなかったが、次第に少し有機的に腑分けすることができはじめた。心理的な分析を心理療法的なアプローチに拘わり過ぎていたので、室井先生からは、それだけではだめだと言われ、一端通史としてヴォディチコの1960年代からきちんと振り返ることにした。この作業は非常に楽しく、アーティストの半生を辿りながら、先行的な資料が見逃している点や間違いなども見つけていくことができ、自分だけが知り得る部分などが出てきた。  

 4年目の夏休み明けに室井先生が見るに見かねて、合宿と称して横浜都市文化ラボで1日朝から晩まで集中して書くことになり、これをきっかけに全体構成と各章立てを具体的に形作られた。2017年の暮れから、翌年の春休みかけて分量は増えて、はじめて文章を削る作業に入ることができた。その都度、当初から続けていた英訳しておいた文献が役に立ち、常に新しいトピックに対し、作者や研究者がどう考えたかを洗い出していった。時代区分を追うことで、ポーランドのアーティストが渡米を経て、世界的なアーティストとなる足取りを追い、同時に東欧の状況から西側へ来たこと、東西冷戦の崩壊とその後の加熱するマネー資本主義、大国主義とテロの時代と、自分では高校時代に起きた出来事からこちら側への世界情勢を、通史ではなくヴォディチコの視点を通じて、文化的な立場でトレースする作業となった。  

 こんな仕事半分、論文半分の生活で貯蓄も使い果たし、いよいよ経済的に厳しくなったが、4年目には非常勤講師をしていた武蔵野美術大学のクリストフ・シャルルさんが研究休暇に出るとのことで、留守の間の授業などを任され、週2日ではあったが固定した収入が得られ、何とか論文執筆の作業を続けることができた。母校でもあるムサ美の図書館には豊富な資料があり、ヴォディチコに関連する欧米資料を含め、授業の前後には図書館での調べものに当てることができた。タイミング的にも実にラッキーだった!。  

 そして調べ上げた資料は対象となるアーティストの辞書のような形で作られたが、それをどのように分析し、どの視点から見出すのかが最後の最後まで難関として立ちはだかった。その最中の論文作業の最後の段になり、ふと高校時代にヴォディチコの作品を見ていた記憶が蘇った。それは彼が湾岸戦争勃発後に大国の石油利権と戦争勃発を批判する意味で、バルセロナのフランコ政権時代の凱旋門にスライド投影した1992年の《勝利の門》だった。高校時代の筆者の実家で定期購読していたNEWSWEEK誌の最後の頁にアート欄があり、スペインで行われたこの投影について写真が一枚掲載されおり、辞書を引きながら調べた記憶があったのだ。当時の自分にはよく意味が分かっていなかったが、新手のライトアートのようなものとして興味を示していたのだと思う。四半世紀を経て、再度同じアーティストについて詳しく調べることになるとは当時の自分は知る由もない。


謝辞と今後 
 何もかもが行き当たりばったりの展開だったが、途中くじけそうになる瞬間にも何らかの救いがあり、幸運に見舞われた5年間だった。一番の困難はやはり経済的な事情で、これも余談だが、大学の手続き上、論文の審査段階で学費を全額納付しなければならなかったことは痛手だった。(まだ審査の途中、もう一年留年する恐れもあったため)

 収入源のフリーランスでの仕事は、クライアントの都合で入金が2か月後と遅れたりすることが多々ある。学費完納後は、論文もすでに提出後だったので、その場で出来る仕事は何でも引き受けた。

 5年間は今思えばあっという間だったが、誰もいなくなった平日午前中の居間で英訳や文献を調べる作業時間は贅沢なものであり、当初の思い描いていた読書し、考える時間を獲得できる稀有な機会であったと思う。この間、小2だった息子は小学校を卒業し、姪が生まれ、父が亡くなるなどの出来事も起きた。これを書く今は、あと1ヵ月足らずで平成が終わろうとしており、欧州はブレグジットをはじめとしたEU分断に揺れ、アメリカはメキシコ国境との間に壁を作ろうとし、日中韓の政治的局面は小競り合いを続けるという、2010年代末的な状況が相変わらず続いている。

 ヴォディチコが冷戦時代から、その後の雪解け、テロの時代のなかで、制作を続けてきたことを調べたことは、筆者にとって大きな指針と勇気を与えられたと思う。時にペシミスティックな眼差しで世界情勢を見つめているにも関わらず、常にユーモアを忘れることなく、作り続ける彼の意思のオプティミズムを感じた。論文の結論はどちらかというとイデオロギーを越える、ある種の精神論のような話で締めくくったのだが、それが今回の自分の中でも大きな収穫であり、彼の人生の中で見逃せない特異な点だと考えている。

  審査員の先生方には多大なご協力いただき、最後まで面倒を見ていただいた。みることから考えること、そしてそれを書き留めておくことは非常に重要なことだし、テキストをじっくり書く時間というものは誰にでもできそうで、なかなかに容易なことはない。そのような時間を与えられ、一定の成果を出せたことは、筆者にとって本当に至福の時間であった。ただし、同じことを誰でも薦めようとは思わない。恐らく既に論文執筆の経験があり、研究のノウハウを知っている人であれば容易なのかも知れないが、筆者のように「四十の手習い」で始めるには荷が大きく、失敗の可能性も多分にある。そのような「中年の危機」の犠牲となり、稼ぎもないのにたまの休みにすら家に閉じこもってどこにも家族を連れて行かないことに家人と息子は協力してくれた。こちらも改めて感謝したいと思う。

 この論文を書いたところで、今のところ筆者の生活には何も変化がない。4月から非常勤の授業が一つ増えただけで、生活が安定するわけでもなく前途は多難だ。ただし精神的には何かを終えた感覚と、モノづくりやアートを生業にすることへの鼓舞を頂けたとひしひしと感じている。「四十にして惑わず」と言えるかどうかわからないが、少なくとも「五十にして天命を知る」までのプロセスとして非常に貴重な経験をすることができた。

2019年7月追記:
*論文はこちらでご覧いただけます。(横浜国立大学学術情報リポジトリ
「記憶のヴィークル(乗り物)としてのアート・プロジェクト:クシシュトフ・ヴォディチコのアート戦略」

2018年5月16日水曜日

SURABAYA INFLUX, contribution/ インドネシアでの出版物

contribution

"SURABAYA INFLUX"
MISA Influx Study Activity, 2017. Language: English Rp. 150.000,-

Kentaro TAKI "8 Predicted Scenes of Influx", photo collage and text. p.68-78.

インドネシアのスラバヤ滞在時に作った写真コラージュと文章「8 Predicted Scenes of Influx」を「スラバヤ人口流入」に掲載され出版されました。150000ルピアで発売中。






2017年3月4日土曜日

「コンピュータ・アートの創生:CTGの軌跡と思想 1966-1969」書評

[書評]
大泉和文著「コンピュータ・アートの創生:CTGの軌跡と思想 1966-1969」
の書評を「映像学」という学会誌に書かせて頂きました。60年代末のコンピュータ黎明期の技術、企業支援・アートの動向を当時の等身大の若者の視点から見て取れて面白い一冊です!

https://www.jstage.jst.go.jp/article/eizogaku/97/0/97_91/_pdf

2017年2月21日火曜日

安全圏としてのアートを浸食するもの ユリアン・ローゼフェルト展覚書

安全圏としてのアートを侵食するもの  ユリアン・ローゼフェルト展覚書 瀧健太郎


ローゼフェルト《マニフェスト》(2015)
 2016年1月よりベルリンで開催されたユリアン・ローゼフェルト《マニフェスト》(Julian Rosefeldt, “Manifesto”)展の忘備録を記しておく。会場のハンブルガー・バーンホフは、ベルリン中央駅のすぐ近くにある元ハンブルグ行駅舎を再活用した、奥に細長い美術館だ。会場前には40-50人ほどの列ができており、そこに並びカウンターでいざチケットを買おうとしたら機材の調子が悪く展示は中止と知らされた。(最前列にきた時点で知らされるとこがドイツっぽい)。その日は敢え無く宿泊先に戻り、しばらく機会を失っていたが、周囲の知り合い何人からも評判を聞いた2か月後に再度挑戦することとなった。 展示会場は暗く、奥に長い展示室には13個のスクリーンが設置され映像が流されている。登場人物は教師、母親、工場労働者、浮浪者、振付家、TVニュースのアンカーウーマンなどなど様々なのだが、観客はすぐにそれらが1人の女優ケイト・ブランシェットによって演じられていることがわかる。

 プロローグシーンのみ人物は出ず、それ以外の画面ではブランシェット演じる12の人物がそれぞれの8分ほどの短編映画形式で、彼女(彼)らの日常のあるシーンを切り取って見せていく。ある画面では、北欧らしき街にて早朝に目覚めて、弁当を持ってバイクにまたがり出勤するゴミ焼却所のクレーン操作する女性工員を淡々と描く。また隣の画面では浮浪者がぶつぶつ文句を言いながらカートを押していく…などなど。

 観客は真っ暗な展示会場をその短編映画のアーカイヴの中を画面から画面へと、ブランシェットの分身を追いかけるように漂流して歩く。そして断片的に提示されたそれら切り取られた誰かの日常が、ある瞬間に、13の画面が同期し展開する。それぞれの画面の主人公たちがカメラ目線で、セリフをモノトーンの調子で歌うように口ずさみはじめるのだ。それぞれの歌のキーは別々になっており、和音として会場に響き渡る。このセリフはタイトルにもあるように、20世紀の様々な前衛芸術の「マニフェスト=宣言文」からの抜粋されている。

 入口付近の導火線が燃える「プロローグ」シーンには、マルクスと エンゲルスの「共産党宣言」(1848)、トリスタン・ツァラ「ダダ宣言」(1918)、フィリップ・スーポー「Literature and the rest」(1920)にはじまり、浮浪者のシーンにはコンスタンスやドゥボールなどシチュアシオニストらの宣言が、仲買人のシーンにはマリネッティほか未来派の宣言とジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)が、ごみ焼却施設の職員のシーンではブルーノ・タウトやコープ・ヒンメルブラ(バ)ウの建築家たちの宣言が、パーティ会場の社長ではカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど表現主義が、またパンク風の女性のシーンでは創造主義とストリデンティズム、科学者のシーンではナウム・ガボやマレーヴィチのシュプレマティズム、ロトチェンコの構成主義などが、葬儀での挨拶する女性のシーンではダダイズム、人形劇の演者のシーンではアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」とるーちょ・フォンタナの「白い宣言」、家庭のなかの母親のシーンではポップ・アート、振付師のシーンではフルクサス、シュヴィッタースの「メルツ劇」、ニュースの司会とレポーターのシーンではコンセプチュアル・アートとミニマリズム、教師のシーンではブラッケージ、ジャームッシュ、ラース・フォン・トリアー、ヘルツォークら映画監督の宣言文から、「エピローグ」シーンには建築家レベウス・ウッズの1993年の宣言文がそれぞれに引用されている。1
 ブランシェット演じる登場人物たちの設定と、これらの宣言文の明確な因果関係は一見わからない。作者曰く「(前衛芸術の)マニフェスト=宣言文が格式ばった美術史の重みから、開放させ、文学的な言葉の美しさや純粋さを抽出させてみたこと」が1つの試みであり、宣言文を再度パフォーマンスとして昇華させることにあったという 。2
 だとするとアートの前衛の先達たちの宣言文が、今日の(しかも女性の)日常のどこかに生きていて、その革命的な素地に溢れているというメッセージ、あるいはその状態にあってもなかなか変革が起こりえないことと指摘しているのかと推測できる。しかしそれを考えたり、感じたりする間もなく、主人公はまた元の断片的な日常に戻ってゆき、映像は繰り返される。観客はランダムにいくつもあるスクリーンを次、また次へと浮遊しいくことで、観客は生活世界と宣言文の理想との間に常に宙づりにさせられていく…。


映画とアートの境界

 ローゼフェルトは劇映画の1シーンのようなセットを組み、そこで繰り広げられる不条理なワンシーンという印象の作品を多く手掛けるドイツのヴィデオ・アーティストだ。筆者がローゼフェルトの名前を初めに知ったのはアートの文脈ではなく商業映画だった。 ドイツの映画監督トム・テュクヴァ(Tom Tykwer, 1965-)の『ザ・バンク 堕ちた巨像』(The International 2009年、米独英共同制作)の1つのハイライトシーンに、クライヴ・オーウェン演じるインターポールの捜査官が、国際的な巨大銀行組織が利用する暗殺者を追って、グッゲンハイム美術館の中で銃撃戦を繰り広げる場面がある。暗殺者は依頼者である組織の代表と美術館で会っているという設定で、暗殺者が口を割るのを恐れた組織側が更に傭兵軍を送り込み、フランク・ロイド・ライト建築のモダンな白いらせん状の展示室に並べられたアート作品(映像の作品が中心の展覧会)が、次々に破壊されるスリリングな展開を見せる。3 一般的は生活圏から切り離され、安全が担保され、ある種の文化的聖域として存在する美術館の展示スペースが、加熱したグローバル資本主義が産み出した巨大銀行組織によって攻撃を受け戦場と化すという象徴的なシーンとして強く印象に残った。このシーンの背景にはスクリーンでの映像が多く映っており、グッゲンハイムでこのようなヴィデオアートの特集展をやっていたのか、アーティストは誰だろうか、展示中に派手な銃撃戦のロケ撮影をすることができたのかと興味をそそられた。

『ザ・バンク 堕ちた巨像』の1シーン

 そこでインターネットで撮影の裏側を調べたところ、俳優たちが街路から美術館のエントランスに入るところまでは、実際のニューヨークでのグッゲンハイムの前で撮影され、建物内部はドイツのバーベルスベルクのスタジオに巨大な実物大のセットを作って撮影したことを知った。そのセットにてあたかも個展を開催したかのように、作品を設営したのが、ドイツ人アーティストのユリアン・ローゼフェルトであった。 ちなみにテュクヴァは先に挙げた「ザ・バンク」以外では、近年では「クラウド・アトラス」(2012)などのSF映画も手掛けているが、90年代の小劇場系の映画を知る人には「ラン・ローラ・ラン」(1998)が日本でも話題となったことが思い出されるだろう。テュクヴァの最新作として、筆者はベルリン滞在中にトム・ハンクスを主演にした「王様のためのホログラム」(2016)をちょうど見ることが出来た。

 もう1つ付け加えるならケイト・ブランシェットはテュクヴァの「ヘヴン」(2002)でも主演を務めており、これはポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキがダンテ「神曲」をモチーフに3部作として制作を企画した「天国編」の遺稿脚本を元に作られた映画だ。イタリア・トリノを舞台に大企業に不満を抱き爆破事件を起こす英語教師役をブランシェットが演じている。公開当時に飛行機の中でぼんやり見たのだが、冒頭にあるフライト・シミュレーターや終盤のヘリコプターのシーンが、航空機内での鑑賞と相まって何とも不思議な気分になり2回続けて見た思い出がある。 ローゼフェルトは映画界とのゆるやかな関係の中にいる稀有な現代美術作家なのかも知れない。その意味で、映画作家は美術領域に対する客観的な立場でありうるし、またはアートは(特に映像を利用している場合)は映画領域に対して批判的な立場をとることができる。ヴィデオアートが映画とアートの両者の特性を比較し、境界上に成立すると指摘できるだろう。この場合ローゼフェルトがそのような立場のアーティストと言う事もできるが、どちらかと言えばヨーロッパの文化的土壌がそのような中間領域を育み、映画とアートのどちらにも関わる出来事を見出す事ができると言った方がいい。


侵犯か、浸透か
 前述の小難しい前衛芸術の宣言文を抜きにしても、ローゼフェルトのインスタレーション《マニフェスト》は、ブランシェットの7変化を楽しむことで成立する。オーストリア出身の彼女が様々な訛りの英語を話す。時にそれは訛りであり、口調であり、性差による口癖、たたずまいとして、全く異なる人物たちが、それぞれの環境で生きていることの群像劇として見ることができる。 作者の意図とは別に、「マニフェスト」と女優が作品の枠組みとなって、観客はその真っ暗な宇宙に所々に浮かぶ、有機的な惑星のようなスクリーン画面の、映画的物語の手法で作られた文学的で政治的なパロールの中を浮遊し、飛行してゆくことができる。マルクスから160余年、アヴァンギャルドから100年がたったという歴史上に現在の位置づけをさせ、その連関と分断の中から、映画と美術の間から読み解こうとする試みの中に漂うような経験を誘引させる。 この《マニフェスト》は劇場公開されることもあるようで、その場合各場面の主人公がマニフェストを謳うシーンはどのように構成されたのだろうか。1本の映画として劇場で上映されるものが、美術館では複数のスクリーンで別々に繰り返し上映されている。

 こうしたシングルチャンネル作品が、展示空間ではインスタレーションとして展開されることは、ヴィデオ/メディアアート分野なら、例えばハルン・ファロッキの作品などは上映と展示の2つの異なる鑑賞をしたことがある。ファロッキの《アイ・マシーンI-III Eye MachineI-III》(2000)では、インスタレーションの場合、観客は上映時間に縛られることなく、スクリーンからスクリーンへと、絵画を見るように自由な時間での鑑賞が可能だ。この場合、1画面での時間軸上でのモンタージュによる構築性は薄まり、空間的な同時多発のコラージュ的要素が高まる。一方で集中力することなく見過ごしてしまう、あるいは複数画面が同時進行するため、全部を把握することはできないなどの一長一短があると言える。ウルスラ ・フローネはヴィデオ・インスタレーションに関する論考で、ヴィデオ・インスタレーションのような空間的な映像の提示が、観客に対して移動可能な場を提供し、座椅子に座って映画鑑賞する際の画面内への没入感やイリュージョン性から解放するような主旨を述べている。4

 インスタレーション空間における映像の投影は、集中して見ることを観客に諦めさせ、むしろ自ら画面から画面へと選んで見ていくという点ではそのように考えることもできる。しかしこの映画的な鑑賞法と絵画などアートの鑑賞法の違いとは、一元的に語られるものではなく、映画的鑑賞の脱却としてのアートの展示空間があり、ファインアートなどの時間軸を持たない手法の表象の鑑賞からの脱却としての時間軸の再構成があると留めておいたほうがいいだろう。ローゼフェルトの作品のインスタレーションでの提示はまさにその点で、観客が自ら画面から画面へと渡り歩くあいだに、ある瞬間に全画面が同期することで、やはり観客は画面のなかだけでなく、インスタレーション空間に没入させられ、イリュージョンの中に取り込まれていった。このような参加による主体性か、イリュージョンによる没入かという議論でもう1つ重要なのは、このようなインスタレーション形式で観客は鑑賞している別な鑑賞者をみるという「見ていることを見ている」体験をするということだ。フローネの主張のように観客の自由移動が客観性を生み出すのではなく、むしろ鑑賞している主体としての観客同士が意識しあうことが客観性を生み出していることがわかる。

 《マニフェスト》のように映像の同期をとるのは多少の技術的な要素が必要で、メディア再生機間をネットワークで結び、シンクロさせるなどかなり必ずしも容易というわけではない。(冒頭で述べた展示閉鎖も技術トラブルによるものだった)何よりもホワイトキューブの美術館をわざわざ映画館のように暗くして、その最中をスクリーンからの明かりを頼りに浮遊するのは、鑑賞空間としての美術館と映画館の融合するハイブリットな場となり、そこで展開する作品映像の内容もハリウッドに出てくるような知られた女優のアイコンから、誰しもが知っている訳ではない前衛芸術の文脈というギャップがそこで展開される。前述の鑑賞の方法と相まって《マニフェスト》は、メディウムの垣根と歴史を越えたメタアート的な機能を見せつけた。

 ところでこの文章を書いている最中に、トルコのアンカラの芸術センターで、写真展のスピーチをしていたロシア大使がカメラの目前で何者かに銃殺される事件が起きた 。5
ネットで配信された映像からは、ホワイトキューブ空間に写真が数点展示されるなか、男が銃を構えわめく姿が流された。「アレッポを忘れるな」と叫んだと言われる犯人の動機は不確かだが、ふと筆者は上記のグッゲンハイム美術間で撮影された映画のアクションシーンを思い起こした。
トルコのロシア大使襲撃事件(Newsweekサイトから)
9.11のワールドトレードセンターへの飛行機の突入とその後のビルの崩壊を、当時繰り返された「ハリウッド映画のシーンのような虚構がNYという現実空間に入った」という言説をひっくり返し、スラヴォイ・ジジェクは現実が虚構に入ってきたと指摘した 。6
 それに従えば、トルコの事件も正に西洋中心主義の象徴でもある美術館という制度的空間に、招かれた/招かれざるに関わらず隣人や他者の存在と、全くすり合わせることのできないその思想や信仰のギャップという現実が入り込んできたと言える。美術館という(現実から乖離した)虚構の場に、砂漠での戦争や空爆という現実が入りこんできたかのように。 100年前の前衛主義者たちの言葉は今や、デジタルやネットワークという技術によってコミュニケーションや体験、そして何よりも「いま、ここ」だけが妄信的に信じられている時代を、的確に批判することはできないかもしれない。しかし、また同時に前衛主義の述べたマニフェストが隅々にまで浸透してきたことで、私たちは血肉となった前衛性を利用する機会をいつも持っているのかもしれない。問題は契機をどう起動させ、束ねて実践することができるか、だ。

1.ジャコモ・バッラ、ウンベルト・ボッチョーニ、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロ、ジノ・セヴェリーニらによる「未来派絵画宣言」(1910)、アポリネール「未来派・反伝統宣言」(1913)、ジガ・ヴェルトフの「われわれ Variant of a Manifest」(1922)、ごみ焼却施設の職員のシーンでは、ブルーノ・タウト「Down with Seriousism!」(1920)と「曙光」(1921)、アントニオ・サンテリア「未来建築宣言」(1914)、コープ・ヒンメルブラ(バ)ウの「Archtechture Must Blaze 」(1980)、ロベルト・ベンチューリ「Non-Straigtforward Archtecture: A Gentle Manifesto」(1966)、パーティ会場の社長では「表現主義」にはカンディンスキー、バーネット・ニューマンなど。

2.Julian Rosefeldt:Manifest https://www.youtube.com/watch?v=oeAAXkhcQEE (2017年2月現在)

3. 偶然だがこの映画の冒頭もハンブルガー・バーンホフ近くのベルリン中央駅から始まる。

4. Ursula Frohne “Dissolution of the frame: Immersion and participation in video installation,”, Art and the Moving Image: A Critical Reader Tate publishing, London, U.K., 2008.


5. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/1210.php (2017年1月現在

6. スラヴォイ・ジジェク「現実の砂漠にようこそ」『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』中山元編訳、朝日出版社、2002年、p.188。