2023年4月19日水曜日

ぼくの耳カツ・ラジオ遍歴忘備録 その1

その1

そういえばラジオ少年だった
 コロナ禍で自宅軟禁状態が続く中で、「ミミカツ」という言葉を何度か聞いた。引きこもり生活で何かをしながらラジオなどを聴くことを指すようだが、そればかりではなくクラブハウスやモクリなどアプリを利用し、映像ではなく音声コンテンツやおしゃべりの聞き流しをすることも流行った。(そして廃れた)。ぼくの場合、ラジオを聴くことで曜日感覚が取り戻され、あるいは昨日のラジオ番組を追いかけて聞くことで、昨日はこんな日だったのかと確認する日々だった。(何にもしてないのに、もうこの番組の曜日か、という…)作品制作はある段階がくると単調な作業が続くので、ラジオを聞き流しながら、いやそれでも時に聞き入ってしまいながら、何とか乗り切ることができた。

 考えてみればぼくが大人になってラジオ、深夜番組を頻繁に聞くようになったのは、3.11東日本大震災の直後だったと思う。大地震と原発事故でうちの子供を外で遊ばせることも出来ず、奥さんの実家が福島県いわき市だったこともあり両親を避難させる/しないなど家族内にもストレスが溜まっていた時期だった。何かないかと何気にスマホで聴けるポッドキャスト番組で見つかったのがお笑い芸人バナナマンの深夜ラジオの一部で、それがきっかけでオンエアの本放送も聴くようになった。バナナマンは同世代ということもあり、単なるお笑いファンとは違って世の中への目線が似ているあたりに親近感を覚えたのもある。それからTBSラジオの深夜枠の他の曜日(おぎやはぎや爆笑問題)の番組も聴きはじめ、彼らのいい意味での無駄話が震災直後の暗い雰囲気を打ち消してくれた。

 そういえば、ぼくは高校のとき、当時祖父が購入していた8㎜ヴィデオ・カメラを借りたことをきっかけに、撮影なんかをはじめたヴィデオ少年だった。その前には誕生日の日に買ってもらった小型のラジカセにはまったラジオっ子だったんだ。小学5・6年で大阪は毎日放送MBSの深夜ラジオ「ヤングタウン」を聴いていた。それぞれの曜日が明石家さんま(月)、嘉門達夫(火)、あのねのね(水)、島田紳助(木:僕が聴いていた時期はのちにダウンタウン)、谷村新司とばんばひろふみ(金)、笑福亭鶴瓶(土)、西川のりお(日)と今思えば非常に多彩なラジオパーソナリティー陣だった。水曜のアシスタントにはデビューしたての渡部美里がおり、そのコンサートチケットを友人のお姉ちゃんが取るもいけなくなったとのことで、小6の僕が大阪城ホールにコンサートを観にいっている。各曜日のパーソナリティーが集まってヤンタンの野球大会というのもあった。(西川のりおがバイクのヘルメットを被って打席に立ったのを覚えている)

 どの家でもだいたいそうだと思うが、就寝時間になるとテレビは見せてもらえないので、寝たふりをして深夜ラジオをイヤホンで聴き、家族にばれない様に笑い声を押し殺しながら、最後は寝落ちする毎日だった。小学生にとってくだらないネタやちょっとHな話は次の日の友人たちとの話題となり、そのことが先生の耳にも入り、「お前らヤンタン聴いてるのか!」と子供のくせにという感じで笑われた記憶がある。毎晩深夜まで聞くことはできないので、そのうちラジカセの録音昨日で120分のカセットでちょうど2時間の番組を録音して後で聴いた。ぼくは中学校を入試で受けたので、今思えばいつそんな時間があったのか、それともそれは中学あがってからのことだったのか思い出せない。京都のKBSでは北野誠の「サイキック青年団」もあって、これは高校生くらいに聞いた覚えがある。また鶴瓶は新野しんと「ぬかるみの世界」も土曜日の深夜でチューニングをずらせば聴こえてきた。自分の小型ラジカセは、深夜になると電波が通りやすくなるのか、周波数を合わせるつまみをまわしてラジオ局に合わせようとすると、単調に記号だけを延々と話す声が聞こえてきた。今思えば海を隔てた北朝鮮からスパイへの暗号だったのだろうか。

ラジオから音楽の興味が
 我が家では朝はNHKのクラシック番組が、また土曜日学校帰ってくるとFMのコーセー火曜ベストテンがかかっていたし、日曜の昼には「日曜喫茶室」が流れていた。後で知るのだが、家にYMOの「ソリッドステイトサバイバー」のカセットがあったのだが、その理由を母に聞くと、その「日曜喫茶室」のゲストに建築家の黒川紀章が来て、彼が「テクノポリス」をリクエストしたのを聴いて、テープを買ったとのこと。その後僕が高校生でテクノ少年になったのはこのカセットの存在影響が大きく、ラジカセの前で寝そべってテープのレーベル横にある二つの回転軸がまわるのを見つめながら聴いたのを覚えている。自分の1980年代の少年時代の原風景の一つだと思う。NHKのラジオ・ドラマ「アドベンチャーロード」も何回か聞いた。大学受験で忙しいときに人気小説が読めなかったが、しばらくするとラジオ・ドラマ版で毎晩10時から15分ずつ聞くことができた。NHK-FMでは新作の映画紹介番組があって、そこでサントラをまるまる掛けてくれた。ラジオは偶発的な出会いの場を提供するメディアだと思う。ラジオから偶然流れてきた音楽でお気に入りのバンドの新譜が出たことがわかるし、それがきっかけで実家近くのレコード屋に買いに走った覚えもある。好きな映画はCDレンタル(品揃えが良かったのが関大前のレンタルCD屋)で借りてきてカセットテープにダビングして何度も聞いた。実家の阪急千里山駅の近くに1軒、御堂筋線の緑地公園駅の前にも1軒ずつレコード屋があった。(いずれも1990年代にはつぶれてしまった)小学生当時は音楽アルバムもカセットで買っていたし、CDになったのは中学生くらいではないか。「ゴーストバスターズ」と「スターウォーズ」のサウンドトラックがはじめて買ったCDだったと思う。隣駅の関大前には貸しレコード屋からレンタルCDになった店が大学のすぐ前にあって、よく借りにいった。自分の知らないロックやテクノポップやニューウェーブとともに映画好きだったのでサントラをよく借りていた。

上京してから
 受験でしばらく高校時代の最後の方はラジオは減らしていたのか、東京の大学に入ってからしばらくラジオを聴かなかったと思う。確か頑張って大阪方面に向けて毎日放送やKBS京都にチューニングを合わせてみたがビル街の鉄筋の建物だったのでほとんど雑音しか聞こえなかったのを記憶している。仕方なく実家から東京に持って行っていた関西のラジオを録音したカセットテープを繰り返し聴いていた。(それで関西人のアイデンティティーを保とうとしていたふしもある)大学も卒業間近には関東圏のカルチャーに染まりつつ、関東のFMで細野晴臣「デイジーワールド」や電気グルーヴ「ドリルキングアワー」ほかテイトウワや坂本龍一などがやっていたラジオをよく聴くようになっていた。当時のマウス・オン・マーズやアトムハートなど海外のテクノミュージシャンほか研究者のデビット・トゥープやヴァンダイク・パークスなどのルーツ・ミュージックの大家が来日した際にラジオに出ていたので世界のシーンと繋がる感じがわくわくした。ぼくはそのころ四谷に住んでいたので、お茶の水のレンタルCD屋でいろんな音楽を借りてきいた。1990年代の半ばのこと。

 2001年の9.11の際もラジオニュースで一報を聞いた。はじめはセスナ機くらいがビルに追突したのかな、ぐらいに第一印象を持ったのを覚えている。その後友人からの電話でテレビをつけて大惨事と知った。2002年から渡独し、ドイツのラジオも良く聞いた。一番聞いたのはクラシックラジオDEで、クラシックだけでなく映画のサウンドトラックや現代音楽もかけてくれる。ルドヴィコ・エウナウディはこのラジオ局で良くかかっていたのでCDアルバムも買った。10年くらいしてから日本でもよく流れるようになった。フランスのノヴァプラネットもよく聞いた。TNTやドクターロックイットの楽曲はこので局でよくかかっていたのをきっかけにCDアルバムを買った。インターネット・ラジオのいいところはオンエアの時だけでなく、曲名リストがあるところだ。僕が住んでいたカールスルーエにはマニアックなレコード屋が一軒あって、そこでアヴァンポップやクラウトロック、テクノなどの中古CDを良く漁った。検盤と試聴ができるので聴いていると、ドイツ人の店員のお兄さんが「君、日本人でしょ」と声を掛けてきた。確かクラスターかそのメンバー界隈のCDを聴いていたと思うが、何でもドイツのそのあたりの一番買っていくのが日本人で、「全部持って行っちゃって国内になくなるんだよね」とボヤいていた。知らんがな。好きなんやし。

今度はラジオ中年に
 それからラジオ熱は一時下火になっていたが、先に書いたように2011年の東日本大震災をきっかけにまたラジオを聞き始める。そのころになるとインターネットのポッド・キャストなどもはじまっていた。最近はラジコで日本中のラジオ番組が聞けるようになってまたラジオ熱が湧いてきた。ラジオを聴いていると、ラジオ・ユニバースともいうべき出演者のクロスオーバーと偶然出くわす瞬間がとにかく面白い。単にお笑い芸人が別な芸人の番組に予告なしに突撃するなど、場外乱闘や喧嘩みたいな思わぬ接点が広がっていくところが面白い。北野誠のラジオに大滝詠一が来たり、伊集院と電気グルーヴが繰り広げる無駄話、最近だと鶴瓶のラジオ番組に細野晴臣が初登場した。今起きていることや事件、亡くなった人に対する気持ちはどうなのか、例えばピエール瀧がスキャンダルでラジオ出演できなくなった日の赤江珠緒さん、その後の穴埋めをどうするかといった問題。アルコアンドピース酒井が静岡のラジオでアナウンサーのやばたんと繰り広げたほのぼのしたいちゃいちゃラジオが、ある日二人の結婚発表というお目出たい話題に繋がるなど。ジャンルや活動領域の違う人々が出会って話すのは、ネットやテレビの対談番組とは違って、敷居の低さとリラックスした感じがあって耳ここちがいい。

 仕事でやっているコンピューターの作業やヴィデオ編集やダビングなどの単純作業のお供にラジオはいい。スマートフォンに入れて移動時間に聞くこともできて本当に便利だ。バカバカしい話につい笑いそうになり、表情を押し殺して満員電車で聞くこともある。テレビ番組がコンプライアンス重視でどんどん面白くなく、また権力に従順になるなかで、ラジオはまだ健全さを保っている。時事問題では荻上チキのセッションを聴いて、社会問題の現状と情報整理をしている。朝のTBSのリスナーもコロナ対策の政府のずさんさに好き放題文句を言えている。MBSではたまに辺境ラジオが放送されており、内田樹らの歯に衣着せぬ意見が聞ける。テレビは切り取りで編集された言説が多いとすれば、ラジオはライヴでじっくりと意見が聞けるのがいい。現代はむしろラジオはテレビやネットで起こった出来事の検証や自由討議の場となっている。荻上の先の番組では政府広報や国会中継をライヴで視聴し、その検証を行うなどネット世界とは少し違う究極のオルタナティヴメディアとしてのラジオ像を知らしめる。

 ここ最近の動向で面白いのは僕が聴いていた1980年代のラジオ番組の復活だ。まず4年前だったかアリスや鶴瓶のラジオが復活した。KBSでは角田龍平のラジオで北野誠や竹内義和がたまにゲストに来て「サイキック青年団」が再現されている。北野はスキャンダルで芸能界から距離を取らざる得なかった後、名古屋のCBCラジオでほぼ毎日出て話をしている。MBSでよく出ているメッセンジャー相原が角田氏と同じくサイキッカー(サイキック青年団のリスナーの総称)だったということで、北野と3人でやった回も面白かった。CBCとMBSのラジオパーソナリティがKBSで、MBSの朝の帯番組「ありがとう浜村淳」の浜村さんは御年88歳で90歳までラジオを務めると言っているが、その後任はどうなるといったとても毎日放送では絶対できない話題で盛り上がっていた。テレビではとても流せないようなニッチで浅くて・深い話が聞けるのが今のラジオの良いところだと思う。

ぼくの耳カツ・ラジオ遍歴忘備録 その2につづく

Radio Lantern, 2000, 5min. Kentaro TAKI

2023年4月18日火曜日

ぼくの耳カツ・ラジオ遍歴忘備録 その2

ぼくの耳カツ・ラジオ遍歴忘備録その1はこちら

ラジオをテーマにした作品
  2000年に僕ははじめて自分のヴィデオ・カメラを買って、当時住んでいた千代田区の防災グッズとして配られていた発電機・懐中電灯付きのラジオを使ったパフォーマンスをした。FM・AM切り替え可能なそのラジオはスピーカー部分を手のひらですっぽり覆うことができ、ぴったり覆って音がこもるのと開放にするのを手で調整するとラジオ音声にワウ効果や、機器自体を振ったり、カメラに近づけたりすることでフランジャー効果がでることを知ったのでそのワンアイデアで作った。カメラを録画スタートして、パッとつけたラジオ局で流れたのがアンドレ・ギャニオン「めぐり合い」で、それをラジオ機器をカメラの前でいろいろ音が出にくくしたり、チューニングを変えたりして、5分間ライヴで僕なりのラジオの演奏をしてみた。これがカメラを買った後の初のヴィデオ作品となった。

 ラジオ好きが高じてpodcastでラジオ番組をやったこともあった。2006年に僕はTWS(トーキョーワンダーサイト)界隈で当時付き合いのあったアーティストらを通じて知り合ったIT系企業をスポンサーに毎回アーティストのインタビューを繰り広げる15分番組を作った。主な対談相手は代表を務めていたNPO法人ビデオアートセンター東京の企画でヴィデオアートの先駆者のインタビュー映像を録っていたのだが、そのカメラマンを務めていた大江直哉君と制作のプロセスとその様子と来日する海外アーティストのインタビューを行った。一部の復刻版がYoutubeでも聞けるようにしてある。これは自分としてもいろんな場所に行き、人と出会ったことの忘備録としてもすごくよかった。買ったばかりのMacBookairに入っていたガレージバンドでよく編集していたのを思い出す。

ラジオと映画をテーマに

 さらにラジオ好きが高じてラジオをテーマにしたインスタレーションも手掛けた。2017年の京都国際映画祭のアート部門での『ラジオ活動/活動写真 Radio Activities/ Motion Pictures』(2017)というインスタレーションを制作した。元淳風小学校の放送室を展示室としてパラモデル中野さんと分けて、彼がボーカルブースの部分で、僕は調整室を展示室にした。テーマをオーソン・ウェルズのラジオドラマ「宇宙戦争」(1938年)にして、当時フェイクニュースとして世間をパニックに陥れた出来事を元に制作をした。当時はこのラジオドラマ視聴者の反応は冒頭にラジオニュースを模したドラマ部分があったことから一部に過剰に驚いた人はいたのは確かだそうだ。ただし本来はラジオメディアの伝聞で起こったことを新聞など別なメディアが検証すべきところを、ラジオという新興メディアへの半ば当てつけのように新聞メディアが悪乗りしたことにより、大げさになった可能性が大きい。(結果としてウェルズはこれを期に映画へと進出している)




 ウェルズのラジオドラマから数えて80年後の現在、まさにフェイクニュースが横行するなか、情報とは何かを映画とラジオに関わった人物をモチーフにしたオブジェとドローイングを放送室に展示した。マイクの前に立つウェルズを模した人形、当時のドラマの音声と原作のHGウェルズにの挿絵にも登場する三本足の火星人の兵器が京都の街を攻めてくる様子も壁面に映し出した。このときの展覧会は映画祭の一環だったこともあり映画とラジオをテーマにしたコラージュ作品5点を放送室への通路に展示した。前述のラジオドラマをマイク一本の前で演じるオーソン・ウェルズの記録写真を元に作った《オーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』(1938)》(2018)。そのほかにベトナム戦争のサイゴンの米軍基地内のラジオ番組の司会を務めた実在の空軍軍曹ラジオ放送のDJを主人公とした映画を題材に《『グッドモーニング・ベトナム』(1987)の放送中》(2018)を作った。戦争の愚かさを過激なジョークに乗せる主人公は、いつしか軍の統制下で上官の反感を買い、番組を降ろされてしまう。銃ではなくマイクを片手に軽妙な語りと音楽で戦うラジオDJの様子が印象的な一作だ。
《オーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』》2018、コラージュ


 この展覧会の話を貰った時、台湾でのアーティスト・レジデンスのプログラムにいたので、台湾でラジオと映画の絡む話として、《「悲情城市」(1989)に映っていない放送局》を作った。映画の冒頭の玉音放送のシーンは台湾にとって戦争終結のみならず日本による占領終結を意味した。その後、物語は中国大陸の介入から独立する台湾の様子を描くが、この映画には物語の転機となるはずの「2.28事件」については政治的配慮からほとんど具体的な描写がない。闇たばこの売り子が役人に暴行を受けたことがラジオ局(現在の2.28記念館)の放送に乗り、台湾全土に独立の運動が広まっていく。映画ではトニー・レオン演じる主人公のがろうあ者で、起こったことが歴史的にも黙殺されている印象を与えている。
《『グッドモーニング・ベトナム』の放送中》2018、左
《「悲情城市」に映っていない放送局》2018、右


 もう一つのコラージュ作品《「ゴジラ」(1954)の放送塔倒壊シーン》は、「ゴジラ」第1作で原子爆弾によって誕生した怪獣の出現をラジオが茶の間に伝えるシーンを描いた。放送メディアの実況中継形式をかりて、架空の出来事を本物らしくみせる演出はウェルズの火星人と同じかも知れない。送信所の鉄塔に近づくゴジラを見上げ、汗だくの実況者が「いよいよ最後です。手を塔に掛けました。物凄い力です。いよいよ最後。さようなら皆さん。」と叫ぶ印象的なシーンを平面で表現した。
《「ゴジラ」の放送塔倒壊シーン》2018、左
《ジガ・ヴェルトフの『熱狂-ドンパス交響楽-』》2018、右


 最後のコラージュ作品は《ジガ・ヴェルトフの『熱狂-ドンパス交響楽-』(1931)》(2018)は「カメラを持った男」などソ連映画の礎を作ったヴェルトフへのオマージュ。ドンバス地方は今となっては良く知られたウクライナ東部で、ヴェルトフの映画冒頭では女性がラジオのヘッドフォンをつけてソ連型計画経済の熱狂ぶりを「音楽」のように聴くシーンからはじまる。ヴェルトフにとって初のトーキー作品となった本作は、音への執着と、革命の手段としての映画や音響として、耳のためのモンタージュ「ラジオ・グラース」の考えの最初の実践となった。ヴェルトフは映画眼(キノキ)や映画真実(キノプラウダ)を謳ったことで知られているが、彼がラジオ耳(ラジオウーホ)なるものを示したことは意外に知られていない。ラジオウーホとは何だったか。彼のいう映画眼が肉眼で見る世界と違って、カメラを覗くことで見る人の眼の覚醒を喚起させることを意味するとするなら、さしずめ音そのものではなく聴くことの覚醒だろう。映画眼=カメラに対し、普通ならマイクやオーディオの語を宛がうかに思えるが、フィルム映画と共に当時新たなメディアとしてでてきたラジオを使っているところが面白い。 というわけで意外にもラジオに関する作品を作っていることの忘備録として、ラジオとの関係から書いてみた。

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2022年8月8日月曜日

Knappe Berürung制作ノート

Knappe Beruerung(Critical Touch, 2021)
 《Knappe Beruerung》(2021)は2021年5月に完成し、10分のヴィデオ作品として同月デンマーク、コペンハーゲンの音楽祭で初演された。ドイツ、フライブルク在住のピアニスト、中村麗の依頼で彼女の書籍出版にあわせた企画として、複数の映像作家が中村の演奏を視覚化し、映像作品として残すという趣旨で、小生も参加することになった 。本作に至る経緯として、作者のヴィデオ・モニターのフレームと身体の関係を綴ってきた拙作《Living in the Box: Dimension》(2007-2013)がある。このシリーズは発表の機会を経る度に変化・変奏されており、この機会に忘備録として一連の流れについて記しておきたい。

 シリーズは習作のSD版として小型のモニター(これ自体は2005年のエロディ・ポン展で使用したものを流用)を縦においたものを恵比寿のアートスペースで展示しており、その後同習作版はVCTから出版したコンピレーションDVDにも収録された 。 そしてさらに発展版のインスタレーション《Living in the Box:Specimen》(2007)が目黒区美術館の企画展「目黒の新進作家-七人の作家、7つの表現」で展示された。この時は出演してくれた伊逹麻衣子と大江直哉とともにインスタレーションの前でパフォーマンスを行っている 。この後HD版のシングルチャンネルが作成され、ドイツ、メキシコ、インドネシア、フランスでの展示やイベントに出品された。大江伊達らとツアーした2009年にはベルリンでライヴパフォーマンス、またフランクフルトで開催された日本映画の映画祭Nippon Connectionのオープニング・アクトを行っている。
 この流れとは別に2013年にはドイツのカールスルーエにあるZKMでのコンサートにて、渡辺裕紀子作曲の《Living in the Box II for piano》が中村麗によって演奏された。

 身体と箱のモチーフは早くには2003年に渡独した際、ZKMの企画展で見た画面の中の人物がモニターの内側をハンマーで叩き、ブラウン管モニターのフレームを強く意識させるゴットフリート・ベヒトールドのヴィデオ作品《test1》(1971)や、山本圭吾の《Hand No.2》(1976)のような作品と、隣接するカールスルーエ造形専科大で研修した際にみた同窓生であったイーノ・ヘンツェの「無題・箱」(2000年)に触発されて、ヴィデオ・メディアが宿命的に持つ特異性であるモニターのフレームを何かの形でモチーフにしたいという願望からスタートしている。帰国後、ふと見に行ったダンスパフォーマンスでひと際目立っていたダンサー、伊逹麻衣子に出演依頼をして、彼女を当時小生が務めていた映像の専門学校のスタジオで同校の学生だった大江直哉や他の学生を巻き込んで、学校機材でいち早く取り入れられていたHDVハイヴィジョンカメラを使用して実験的に撮影がはじまった。撮影用の箱のセットは各体のパーツに合わせて、順番に制作され、箱が出来上がる度に伊達に来てもらって、撮影を追加していった。

 当初は自分の体でテスト撮影をしたが、これが酷くてとても見られたものでなく、まず見られる身体・晒される身体に長けている人を思って、伊逹に声をかけたのを覚えている。伊逹は作品の趣旨とまだ未分野の開拓であることをよく理解してくれ、毎回の撮影で見事にこちらの意図を越える動きを見せてくれた。本来ならステージを縦横無尽に踊ることが本分であるコンテンポラリー・ダンサーをわずか数十センチの狭い区切られた箱の中で踊って欲しいという演出に彼女は快く付き合ってくれた。学校の撮影スタジオに、箱の前や上にカメラを固定し、女子学生をアシスタントにして、伊達が裸体となって箱の中で演技するのを、サブでチェックしながら収録が行われた。舞台で見られることに慣れている伊達の動きが素晴らしく、ショットのほとんどが1~2テイクで追えることができた。彼女のパフォーマンスを彫刻のように標本箱に閉じ込めるような作業が何度か続いた。 制作と発表を繰り返す中で、身体と他のものの比較を試みたくなり、本や色の付いた日用品、コップ、金魚や蛇、昆虫も登場するシーンが付け加えられたバージョンが作られた。HDV版の《Living in the Box: Dimension》(2007-2013)の箱の構成はピート・モンドリアンのコンポジション・シリーズを参考にしたこともあって彩りが欲しくなったということだ。また最終的に箱を伊達麻衣子が大槌をもって、破壊するシーンが加えられて、2013年のバージョンが作られている。

  2007年当時のメモを見ると当時の時代の閉塞感や規制やシステムの確立と共に自由が奪われていく都市生活者の感覚を、箱と体のパーツに置き換えたと述べている。その当時でさえ既に日本のバブル経済崩壊後の不況が10年以上続いており、単純に政治・経済・文化的に閉じた状況が続いていたことを反映している。島国特有の保守的な側面を示しつつ、箱はまた記録メディアに閉じ込められる、死んだ情報としてのヴィデオ映像の際限なき再現という宿命も示している。(記録されたビデオテープは『再生』されて見ることができる)。

 区切られた箱は確かに近代が目指してきた効率化と合理性を象徴しており、その中に有機的な人間の身体がどのように配置され、のたうち回りながら生き残るのかを見ることができる。ヴィデオアートの文脈ではゲイリー・ヒルが筐体を外してブラウン管のみにした大小の画面に身体の部分を大写しにして並べた《Inasmuch As It Is Always Already Taking Place》(1990)を思い浮かべる人もいるかも知れない。ヒルが丸裸にされたCRTという機械と裸体を重ねたに対し、《Living in the Box》はもう少し身体をモノとして扱い、標本のように閉じ込めて蒐集する印象が強い。今年2月に亡くなったイ・オリョンに言わせるなら、前者は広がりを求めて身体がTVモニターという殻を破って出てきたように見えるのとは、対照的に後者の私の作品は空間的にも意識的にも縮みの志向を持っている 。

 2021年の《Knappe Beruerung》は一部にこの《Living in the Box》の撮影素材を使いつつ、基本的には中村麗の演奏姿を捉え、様々な形の箱の中に標本化するような試みとなった。ピアニストの労働である演奏姿を、いくつかのシークエンスに分解し、再構成する作品となった。コロナ禍で世界的に芸術家や音楽家の仕事がなくなったのに対し、ドイツのゲーテ・インスティテュートの「ヴァーチャル・パートナー・レジデンス」のプログラムによって三者の制作体制をとることができた。中村はフライブルクに、瀧と渡辺はそれぞれ日本の横浜と長野に居た為、2020年の暮れにオンラインの会議が持たれた。中村の主旨としては渡辺作曲作品に映像を付ける(その他中村のコラボレーション作品数作にヴィジュアルがつくというシリーズ)というものだった。

 渡辺は2007年の《Living in the Box: Specimen》を目黒美術館で見ており、それをテーマにした前出の作曲《Living in the Box II for piano》を作っており、その初演がZKMでの中村の演奏だった。こうしたプロセスを経て、今回は自作のヴィデオの実験が2007年にインスタレーション展示になり、その展示にヒントを得て2013年に現代音楽の作曲作品として演奏され、そしてまた2021年にその音楽作品にヴィデオをつけることになるという14年越しの円環として繋がった。コロナ禍で気分も落ち込んで、経済的にも厳しい生活を強いられていた自分にとって本当に嬉しく、アーティスト冥利につきるというか、コンセプトや形式が時を経て評価され、育まれていくことを改めて理解した。

 このような制作の背景もあって《Knappe Beruerung》は2021年に世界的起こったパンデミックの状況下で、感染症対策として自宅に閉じこもった体験を反映している。渡辺の作曲は、鍵盤に触れるか触れないかのぎりぎりの境界を扱ったもので、曲の時間軸の中で人間と楽器(インストゥルメント=装置)の接触について言及していた。COVID19は人と人との接触を断ち、空間的に隔離することを我々に強いた。感染症がもたらした分断は、加熱する情報化時代にぴったりでもともと情報へのアクセスの格差としてデジタル・ディバイドなる状況も生まれていた。合理化と効率性を探究するIT技術の根幹には、大型計算機としての黎明期のコンピューターのルーツに弾道計算や暗号解読、原爆開発のエネルギー試算、ユダヤ人排斥の為のパンチカードに至るまで、より早く演算・処理を行うことに起因している。作品ではそうした分断と効率性を冷静にみる視点から、合理性に捉われた身体が少しずつアンサンブルのように加算されて、最終的にはステージのようになり(この箱はベンサムのパノプティコンのように円柱の弧のように配置されている)ピアニストが陳列棚のような箱に囲まれていく様子と、終盤には落下するような旋律とともに箱が瓦解していく展開となっている。

  そして作品内の箱と箱の隙間には霧のような白い気体を流した。これは上述の「デジタル的な」区切りの外にアナログ的な世界、もっと有機的で人間中心のシステムがあることを示した1990年代の室井尚氏の構造主義批判の言説から着想を得ている。彼はその時点ですでに構造的な考えには限界があり、むしろ気象学のような構造を持つことなく複雑かつ自然モデルを参考にすることを薦めている。コロナのような大規模感染もまた室井氏の言うように、「デジタル的」には何ら読み解けないモデルの必要性を感じる機会となった。昨年地球温暖化の環境問題でノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏も、数理的なモデルだけではなく、物理的で複雑な自然モデルの総体として捉えて指摘したことが評価された。私たちの理性は今、過度な情報社会が形成する一種の閉じた空間からいかに人知を超えた自然的な存在をコントロールしようと理解するのではなく、むしろコントロールされていることに気づけるかどうかという観点で試されている。

絵コンテより
 コロナ禍の私たちの置かれた状況は、奇しくも2007年の拙作《Living in the Box: Dimension》の閉塞空間に閉じ込められた身体のようになった。そのような環境下の表現者三名が「ヴァーチャル・パートナー・レジデンス」のプログラムの形式を借りて、《Knappe Beruerung》は2021年1月―5月かけて行われた。まず渡辺の作曲を中村が演奏した仮の音声ファイルと楽譜を元に瀧が絵コンテを作成した。

 中村がドイツはフライブルクのラジオ局SWRのスタジオでピアノ演奏の録音を行った。その際筆者は現地に赴けなかったのでSWRの音響技師二人に詳細なカメラワークの指示を作り、演奏する中村を撮影してもらった。一見無謀な方法であったが音楽のプロモーション映像のようにスタジオ録音の後に、ミュージシャンが演奏の再演を収録するのではなくて、レコーディングそのものをドキュメントする意味で音声のレコーディングの場でカメラをまわしてもらった。楽曲は技巧が非常に難しいのでパート毎に録音され、なおかつ鍵盤に触れるか触れないかのぎりぎりの細かなニュアンスが必要だったので、この方法は非常に効果的だった。4KカメラとGoProを多用し、朝10時くらいから夕方まで撮影を行い、一部に別角度の映像を利用し、演奏の指と合わないテイクのものは時間調整を施した。ただし中村の演奏は毎回正確で、テイクは違えども演奏の尺は同じ、という恐るべき職人芸が記録されており、編集中何度も驚かされた。途中10分間でマイクスタンドや三脚が回りを囲んでいるグランドピアノをカメラマンが3週しなければならないカットもあり、恐らく自分でもうまく撮る自身のないカットもあったが、音声技師の二人はうまくこなしてくれた。

 送られてきた約50テイクに及ぶ総計1TBの動画ファイルからから、SWR側で作成した音声レコーディング版で採用された音を元に、OKテイクを選び出し絵コンテにあったシーンを足してゆく作業が一ヵ月ほど続いた。また箱の間にうっすら流れる霧の合成は一番地味で目立たない割に、非常に手間取った。舞台用のスモークマシンを利用したところ噴射の勢いがありすぎることから、一旦出たスモークをビニール袋に閉じ込め、箱と箱の間の空気の通り道を模したグリーンバックにアクリル板を置き、PC用のファンで排煙できるようにして霧がある程度の距離を通り過ぎるようにした上で、袋から少しずつスモークを押し出して調整して流した。まさに制御不能の気象学的で不定形な霧を何度も撮影した中から、いい流れのものを選んで合成している。

 前年度にコロナの給付金が入ったので4Kカメラと照明のセットと、使用PCのマザーボードと最新のSSDに取り換え、ソフトウェアも最新のクラウド版に更新できていた丁度のタイミングでこのコンディションでの初のプロダクションだった。スタジオレコーディングとしてパーツを作っては、音楽の時間軸に当て嵌めていく作業が2021年の4月~5月と続き、週の他の仕事をする2日を除いたほぼすべての時間をこの制作に充てることができた。

 

撮影素材が見れる-unplugged-
 元々のコンセプトの特異性もあって、単なる音楽プロモーション映像ではなく、実験的すぎる映像でもない、容易には形容できない映像になったのではないか。コロナ禍での制作だったことをうっすら仄めかしたかったため、よく目を凝らしてみると箱の中にこの期間よく見慣れたアイテムが写り込んでいる。また後日、撮影時の中村のパフォーマンスがよく確認できる映像を切り張りして、CG加工などがない《Knappe Beruerung -unplugged-》も制作した 。こちらは画面を格子状に20個に区切ってあり常に1つの空白のコマがあるため、COVID19を暗示した構成になっている。
 今回の制作により2007年の撮影テープをデジタル化することができた。これを元に要素をそぎ落とした4K版のディレクターズカットというべき《Living in the Box》(2007-2022)も制作され、ARTOSAKA2022のエクスパンデット部門として大阪の名村造船所跡地で展示された。この最終版で足掛け15年作り続けてきたシリーズに一旦の区切りがついたと考えている。

2020年6月10日水曜日

「叢書セミオトポス15」

日本記号学会編の書籍に寄稿しました!ポーランド出身でNY在住の現代アーティスト、クシシュトフ・ヴォディチコの2000年代の作品についての研究論文です。

「叢書セミオトポス15 食(メシ)の記号論 食は幻想か?」日本記号学会 編
ISBN 9784788516823
A5・216ページ 定価 本体2,700円+税

2020年3月5日木曜日

相内啓司『い(ま)え in betweenー存在とイマージュの境域ー』DVD

映像・造形作家 相内啓司さんの活動を記録した全集 『い(ま)え in betweenー存在とイマージュの境域ー』に寄稿しました。

 『い(ま)え in betweenー存在とイマージュの境域ー』
2枚組DVD/計213分 同梱冊子/A5判変形カラー80ページ

 DVD同梱される冊子には映像作品、インスタレーション、絵画、童話などの記録に加え、哲学者 小林康夫との対談、コンセプチュアルアーティスト・映像作家の飯村隆彦へのインタビュー、映画監督・映像批評家の波多野哲朗、ヴィデオアーティスト河合政之、ヴィデオアートセンター東京代表の瀧健太郎の書き下ろしレビューを収録。

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