バック・トゥ・スクール!
筆者の博士論文審査が2019年1月末に行われ、3月26日に晴れて横浜国立大学大学院の学術博士の取得という運びとなった。(プルプル…打ち震えて!)筆者は国大の社会人枠として本来3年間の課程を、働きながら最大6年まで延長して在籍できる手続きを取っていた。しかし正直な話、経済的困難もあり、あと1年延びていたら断念せねばならず、実際に5年間で終えることができてホッとしている。
事の発端はまだ以前に勤めていた早稲田大学の映像系専門学校の教員だった際に、自分の考えを纏めて、書くことが必要だと考えたことにある。筆者はヴィデオを使ったアート制作と発表を続けており、それまでもアートイベントや美術館での発表の機会に恵まれてはいたものの、自作を含めたメディアの状況やアートの現状などを日記的に記録する以上には発展しないことに少し物足りなさを感じていた。
何よりも日々仕事に追われ、本を読む時間がなく、読んだとしても断片的に拾い読む程度で、主体的に書籍を選み、考えを紡ぐ文脈を見出せずにいた。またその勤め先の学校が学生募集を停止し、筆者は解雇の身となるのだが、その際に大学院以上の学位がないと教育機関として留任させることができないという趣旨を学校側に突き付けられたことも一つの理由だ。つまり、いくら作品制作や発表の実績や、教育現場の経験があったとしても、所詮アカデミックな現場にはそれ相応の資格がなくては「いつでもさよなら」だということだった。これには幾分か腹が立ったが、言われてみれば、アートや表現行為を客観的に精査する能力を自分が持っているかは疑問だった。解雇前に担当していた学生が、進学するというので、親身になって相談に乗りつつも、筆者もそれらの情報から「自分ならどこで勉強したいか…」といくつか目ぼしをつけていった。
解雇後は再就職する予定で仕事を探したがなかなか条件に合う職場がなく、そこで一旦再就職は諦めアルバイトをしながら、当時は多少貯蓄もあったので、博士課程の3年くらいは何とか学費は支払えそうだと踏んで、その後改めて進学を目指すことにしてみた。
道のりは遠く
大学院受験には研究計画が必要なのだが、当初は「都市と映像メディアの関係」という非常に抽象的で、曖昧なテーマを掲げていた。これでは研究対象が明確でなく、何一つ具体的に論じることはできない。しかし筆者はヴィデオアートの制作活動をするなかで、どうしても都市の問題系と、メディアが持つ「情報操作による欺き・はぐらかし」とそれを「逆手にとって抵抗すること」の両義的な意義への興味が年々強まっており、どれだけ貧しい結論であったとしても、自分なりに一度向き合ってみたいと考えていた。
折しもアカデミックな分野では文理融合の考えの下、学際的で複合的な学科がいくつか開設されており、横浜国立大学に都市イノベーションという建築と美学の横断的領域ができたことを知り、さっそく映画系の先生に連絡を取ってみた。メールのやりとりで、筆者の考えている方向ならこの先生ではと、視覚論の先生を紹介され、結局その先生は博士課程の主査になれないということで、最終的に室井尚さんを紹介していただき、先生との相談で入学をすることになった。室井氏は思想、美学、科学、メディア論まで幅広く研究を展開されてきた方で、演出家の唐十郎を横浜国立大学に呼んだ人として筆者が学生の頃に知っていた程度で、後に北仲スクールや横浜トリエンナーレでの「巨大バッタ」を手掛けた作家兼オーガナイザーとして活動された方だということが徐々に繋がっていく。室井氏からしてみればアーティスト気取りに若い兄ちゃんが何か論文書きたいといって、ひょっこり現れた程度にしか思っておられなかったと思う。実際そうだし、面談を繰り返す中で「君には書けない」「無理」と何度も念押しをされた。
考えてみれば筆者が修士論文を書いたのは20年前の90年代半ば、その時の論文は2万字程度の簡単なもので、制作と論文の両方の提出だったので、今読み返せば事例を挙げ共通点を見出すだけに、レポートの延長的なものでしかなかった。
それに対し、今回はまず研究テーマの再考にはじまり、2年間ほどはほとんどそれに費やす事になった。ここから言い訳なのだが、社会人大学院生といっても、結局のところ筆者には美大の非常勤講師に仕事がたまにあるだけで、それだけでは生活も成り立たないため、アルバイトをしながらの就学となり、この仕事との時間調整が非常に難しかった。フリーランスとしてカメラ撮影と編集の他、ヴィデオアート作品の修復調査や、WEBデザインなど、出来ることは何でもこなした。当然、いずれの仕事も短縮して手を抜くわけにもいかず、結局研究する時間を蝕んでいくことに。同時にNPOで活動しているアート活動のマネジメントや、不定期に入ってくるアーティストとしての仕事も断るわけにもいかず、論文執筆に当てる時間がなく作業は遅滞していった。
3年目の正直…
横浜国立大学の博士課程では初年度は授業に出席が必須とのことだったので、週2、3日は大学に赴き、キャンパスライフを謳歌することになった。帰宅後と大学の無い日に仕事を行う事になり、家族には経済的にも時間的にも負担をかけてしまう。2015年にはインドネシアの国際学会で発表をするも、まだピントが曖昧で、担当教授からは、まどろっこしく何をやっているかわからない学生として映っていたと思われる。それでも3年目に入ったところで、それまで都市と映像の関係としての項目に夜間の都市へのスライド投影として取り上げようとしていたクシシュトフ・ヴォディチコついて、きちんと取り扱ったモノローグとしては論文執筆してはどうかという話になり、そこからようやく集中的に作業が動き始めた。
筆者はまず対象に関わる1960年代から近年に至るまでの主要な英語文献を訳すところからはじめ、課程の3年目と4年目はほとんどこの作業にあてられた。この作業の間に論文のテーマを決めていくのだが、先行的な研究や論考を読み進めていくと既に取り上げられ、解決済ということもあり、新しい視点を見出す事は難しかった。また実作を2011年の横浜トリエンナーレでしか見たことがなかった自分としては、ヴォディチコの〈パブリック・プロジェクション〉シリーズや装置類などをより詳しく検証したいと考え、より細かな調査を開始した。
3年目となる2016年3月に、フランスのクレルモン・フェランのヴィデオフェスティバルに呼ばれ自作を発表する機会を得たので、パリ経由でTGVに乗ってナントに赴き、ヴォディチコの《奴隷廃止記念》(2011)のモニュメントを見学した。また同年には東京都のアーティスト・レジデンスの助成金が取れたので、3か月のベルリン滞在期間中、そこを拠点として、イギリスはリヴァプールで行われていたヴォディチコの回顧展と、またポーランドはワルシャワとウッチに行き、彼のポーランド時代の作品や活動と、同時代のメディアアートの状況について調査した。また8月の末にヴァイマールで行われたゲーテとシラー像への投影に参加し、現場を見ることができた。そしてこのヨーロッパを滞在中に、手に入れるべきカタログや資料を手に入れることができた。それまでこのインターネットの時代においても、オンラインでは入手困難な資料があったので、非常に助かった。また自身の制作活動を通じて、前年に来日していたポーランドのヴィデオ・アーティストと知り合っていたので、彼を頼ってウッチを案内してもらった。
この間、飯村隆彦さんからMITが出している美術誌「オクトーバー」のバックナンバーを大量に譲って頂き、この中にヴォディチコのインタビューや関連文献を多く参照することができた。また20年ほど前に知り合った福住治夫さんが編集させる『あいだ誌』にも和訳の文章を見つけるなど、これまでの筆者のツテを頼って資料を手に入れることができた。
翌年2017年7月にヴォディチコ氏が横浜での作品制作を模索するべく来日し、彼の将来のプロジェクトのための調査を行った。室井氏率いる横浜都市文化ラボ主催で何度もヴォディチコを招聘し、本人とも話をさせていただく機会に恵まれ、これらはほとんど筆者の論文のためのイベントとも言え、感謝の意は尽きない。この年の8月にソウル現代美術館でのヴォディチコの回顧展を見学させていただいたのも横浜都市文化ラボのワークショップの一環で、書きかけていた断片を少しずつまとめて行った。
形式的で門切型の文脈での分析しかできていなかったが、次第に少し有機的に腑分けすることができはじめた。心理的な分析を心理療法的なアプローチに拘わり過ぎていたので、室井先生からは、それだけではだめだと言われ、一端通史としてヴォディチコの1960年代からきちんと振り返ることにした。この作業は非常に楽しく、アーティストの半生を辿りながら、先行的な資料が見逃している点や間違いなども見つけていくことができ、自分だけが知り得る部分などが出てきた。
4年目の夏休み明けに室井先生が見るに見かねて、合宿と称して横浜都市文化ラボで1日朝から晩まで集中して書くことになり、これをきっかけに全体構成と各章立てを具体的に形作られた。2017年の暮れから、翌年の春休みかけて分量は増えて、はじめて文章を削る作業に入ることができた。その都度、当初から続けていた英訳しておいた文献が役に立ち、常に新しいトピックに対し、作者や研究者がどう考えたかを洗い出していった。時代区分を追うことで、ポーランドのアーティストが渡米を経て、世界的なアーティストとなる足取りを追い、同時に東欧の状況から西側へ来たこと、東西冷戦の崩壊とその後の加熱するマネー資本主義、大国主義とテロの時代と、自分では高校時代に起きた出来事からこちら側への世界情勢を、通史ではなくヴォディチコの視点を通じて、文化的な立場でトレースする作業となった。
こんな仕事半分、論文半分の生活で貯蓄も使い果たし、いよいよ経済的に厳しくなったが、4年目には非常勤講師をしていた武蔵野美術大学のクリストフ・シャルルさんが研究休暇に出るとのことで、留守の間の授業などを任され、週2日ではあったが固定した収入が得られ、何とか論文執筆の作業を続けることができた。母校でもあるムサ美の図書館には豊富な資料があり、ヴォディチコに関連する欧米資料を含め、授業の前後には図書館での調べものに当てることができた。タイミング的にも実にラッキーだった!。
そして調べ上げた資料は対象となるアーティストの辞書のような形で作られたが、それをどのように分析し、どの視点から見出すのかが最後の最後まで難関として立ちはだかった。その最中の論文作業の最後の段になり、ふと高校時代にヴォディチコの作品を見ていた記憶が蘇った。それは彼が湾岸戦争勃発後に大国の石油利権と戦争勃発を批判する意味で、バルセロナのフランコ政権時代の凱旋門にスライド投影した1992年の《勝利の門》だった。高校時代の筆者の実家で定期購読していたNEWSWEEK誌の最後の頁にアート欄があり、スペインで行われたこの投影について写真が一枚掲載されおり、辞書を引きながら調べた記憶があったのだ。当時の自分にはよく意味が分かっていなかったが、新手のライトアートのようなものとして興味を示していたのだと思う。四半世紀を経て、再度同じアーティストについて詳しく調べることになるとは当時の自分は知る由もない。
謝辞と今後
何もかもが行き当たりばったりの展開だったが、途中くじけそうになる瞬間にも何らかの救いがあり、幸運に見舞われた5年間だった。一番の困難はやはり経済的な事情で、これも余談だが、大学の手続き上、論文の審査段階で学費を全額納付しなければならなかったことは痛手だった。(まだ審査の途中、もう一年留年する恐れもあったため)
収入源のフリーランスでの仕事は、クライアントの都合で入金が2か月後と遅れたりすることが多々ある。学費完納後は、論文もすでに提出後だったので、その場で出来る仕事は何でも引き受けた。
5年間は今思えばあっという間だったが、誰もいなくなった平日午前中の居間で英訳や文献を調べる作業時間は贅沢なものであり、当初の思い描いていた読書し、考える時間を獲得できる稀有な機会であったと思う。この間、小2だった息子は小学校を卒業し、姪が生まれ、父が亡くなるなどの出来事も起きた。これを書く今は、あと1ヵ月足らずで平成が終わろうとしており、欧州はブレグジットをはじめとしたEU分断に揺れ、アメリカはメキシコ国境との間に壁を作ろうとし、日中韓の政治的局面は小競り合いを続けるという、2010年代末的な状況が相変わらず続いている。
ヴォディチコが冷戦時代から、その後の雪解け、テロの時代のなかで、制作を続けてきたことを調べたことは、筆者にとって大きな指針と勇気を与えられたと思う。時にペシミスティックな眼差しで世界情勢を見つめているにも関わらず、常にユーモアを忘れることなく、作り続ける彼の意思のオプティミズムを感じた。論文の結論はどちらかというとイデオロギーを越える、ある種の精神論のような話で締めくくったのだが、それが今回の自分の中でも大きな収穫であり、彼の人生の中で見逃せない特異な点だと考えている。
審査員の先生方には多大なご協力いただき、最後まで面倒を見ていただいた。みることから考えること、そしてそれを書き留めておくことは非常に重要なことだし、テキストをじっくり書く時間というものは誰にでもできそうで、なかなかに容易なことはない。そのような時間を与えられ、一定の成果を出せたことは、筆者にとって本当に至福の時間であった。ただし、同じことを誰でも薦めようとは思わない。恐らく既に論文執筆の経験があり、研究のノウハウを知っている人であれば容易なのかも知れないが、筆者のように「四十の手習い」で始めるには荷が大きく、失敗の可能性も多分にある。そのような「中年の危機」の犠牲となり、稼ぎもないのにたまの休みにすら家に閉じこもってどこにも家族を連れて行かないことに家人と息子は協力してくれた。こちらも改めて感謝したいと思う。
この論文を書いたところで、今のところ筆者の生活には何も変化がない。4月から非常勤の授業が一つ増えただけで、生活が安定するわけでもなく前途は多難だ。ただし精神的には何かを終えた感覚と、モノづくりやアートを生業にすることへの鼓舞を頂けたとひしひしと感じている。「四十にして惑わず」と言えるかどうかわからないが、少なくとも「五十にして天命を知る」までのプロセスとして非常に貴重な経験をすることができた。
2019年7月追記:
*論文はこちらでご覧いただけます。(横浜国立大学学術情報リポジトリ)
「記憶のヴィークル(乗り物)としてのアート・プロジェクト:クシシュトフ・ヴォディチコのアート戦略」
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